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『特攻の実相』『特攻の実相 続編』が私に伝えたもの 〜亡き特攻隊員達からの無言の伝言とは〜



まずはじめに、

これは太平洋戦争末期、海軍航空隊に*特攻要員として九州最南端の鹿屋海軍航空隊にいらっしゃった藤 良亮氏が御自身の経験をもとにお書きになった本です。弱冠17歳で中尉となられた藤氏が経験した悲しい実話の一部でございます。
*特攻要員、すなわち特攻隊員の意。(特攻隊とは『特別攻撃隊』のことである。太平洋戦争末期に日本軍が編成した、生還の可能性の無い連合国軍艦艇に対する体当たり攻撃を実行するための部隊である。wikipediaより参照)

私は戦争を体験していない世代に生まれたので、今から私が申す事は、私がこの本を手にとって以来私なりに理解し考えたことです。著者の見解ではありませんので、どうぞご理解くださいませ。
実際本の中には私の32年間の知識を以ったとしても、知らない用語、表現などがあり、分かりづらい部分がありました。
たぶんこれは戦時中、日常的に使われていた軍事用語なのだと思いました。

誠に残念な現実なのですが、年が経つにつれ、私たちは太平洋戦争について戦争体験者から多くを語っていただく機会が少なくなってきています。もし私がこの本に出会えていなかったら、私はこの戦争の多くを知らないだけでなく、さらに何よりも大切な「真実」を知る事はなかったでしょう。それに今日のような記事ももちろん書いてはいませんし、今の私もありません。この二冊の本は、私の精神を生まれ変わらせてくれました。
私はこの本がこれからも自身の”道しるべ”となることに大きな意味を見出し、本の中で私が受け取ったメッセージ、そしてそれを現在に蘇らせ実行に移すこと、それこそが大切なのだと思うようになりました。
中には戦争を知らないのにぺらぺらとしゃべってと思う方もいらっしゃるでしょう。でも今の私の思いを精一杯の言葉に代えて、今日は同じ蒼空の下「生」を共にする藤 良亮先生へ捧げたいと思いこの記事を投稿しました。
いつか必ず英霊への報恩となる何かを出来る自分になれるよう、これから尽力してまいります。



<前文省略... あの戦争以来、私の人生観も大きく変わりました。何をしても辛いと感じたことは一度もありません。> 著者 藤良 亮


これは本の前書きから引用しました。

この言葉一つで、藤先生の壮絶な生き様を想像できるということはいうまでもありません。私自身も今までの人生の中で、これほど辛く心が引き裂かれるような話は聞いたことがありませんでした。

戦争は憎しみそのものではなく、人々の悲しみで始まり悲しみで終わる。そしてその後に導かれた未来は、あの時代に生きた人々の堪え難い苦しみと深い悲しみ、叶えたくても叶わなかった多くの希望の上に成り立っていると私は思っています。
実際にこの本には敵軍に対する憎悪など微塵だに綴られていませんでした。

ですから今を生きる人には「私はどこどこの国がこういうことをしたので許せない」ですとか「何人が悪いことをしたので嫌いだ」と言い、その非難の矛先をその当時の敵国やその兵士そして国民、あるいは現代に生きる人間に向けないでいただきたいのです。これは戦争に強いられた悲劇な結果なのであって、戦争自体が悪いのだと私は思うからです。もちろん戦争をするのは人間ですが、誰が始めたとも、誰が悪いとも言えないのが戦争の理不尽さです。その理不尽な戦争の一番の被害者は、その時代を生きてきた人達であり、それに報いるのは今を生きる私達だということを忘れてはいけないと思います。憎しみや復讐心からは憎悪しか生まれてきません。

本を読んでみて、これだけは戦争を知らない私にも真実ではないかと思う事があります。それは、どこどこの国の何人の兵士だって皆変わりなく、家族や愛する人への一寸たりとも断ち切れない情愛があり、しかしその深い愛ゆえに、泣く泣く断ち切って突撃したに違いないということであります。心に居るその人のために、上部からの嫌な命令にも従ったに違いありません。誰がそんな彼らを責めることができましょう?まだ10代という若さで、いずれ結果として訪れるかもしれない死を覚悟し、それどころか生んでくれた母のため故郷に錦を飾ろうと家を後にしたに違いありません。そして本来であれば、恐怖と悲痛に震えて当然であろう心を逆に奮い立たせるようなことをしなければいけなかった、これが戦争だと思います。そこに嘆き以上の誰かへの憎しみなど、彼ら自身にさえ存在したのであろうかと私は疑うのです。

本の内容については非常に長くなってしまい、ここには書ききれませんが、本の中に出てくる古川中尉が敵陣へ突撃する、それこそ何分か前にとったある行動が印象的でした。

彼はもともとある部隊に所属し、そこから出撃するも、*不時着より救助され、体を負傷した状態で藤中尉が所属する鹿屋301部隊に引き取られてきました。*不時着、すなわち不時着陸の意。(飛行機が、故障や悪天候などのため、予定地以外の飛行場でない場所に臨時に降りること。古川中尉の場合はエンジン不調と記されてあります)
神風特攻隊は一旦出撃に出ると、生きて帰ってくることは許されず、まず彼らにとって特攻出撃は二階級特進という栄誉を受け、それと同時に『戦死扱い』とされます。ですから、エンジン不調などで引き返した者は、『死に損ない』と軽蔑され、監禁、拷問などのひどい仕打ちが待っていました。
ですが藤中尉は、301部隊所属の隊員を守るのはもとより、不時着から引き返してきた別部隊の隊員、及び拷問から逃げてきた別部隊の隊員なども全員引き取り、301部隊に編入させ、これらの仕打ちから実際多くの隊員を必死で守ったのです。
しかし結局この古川中尉は死んだ自分は生きていてはいけないという思いから、藤中尉が最期の最期まで引き止めるも、最期は単機で散華されました。
その同日の早朝のこと、まだ古川さんが眠っていた部屋に、ある301部隊の隊員が前日に特攻出撃したという戦友のニュースを聞き悲しみに耐えかね、夜通し酒を飲みベロベロに酔っぱらった状態で、自室と間違え入って来ました。
結局ベッドから古川さんを追い出し、自分が寝てしまいました。驚くことに、古川さんはこの隊員のどろどろになった衣服を脱がせ、洗濯し乾かしたといいます。
古川さんは藤中尉に「彼はなにか辛いことでもあったのだろう。目を覚ますまで寝かせてやってくれ。」そう言って間もなく出撃し、敵輸送船団に体当たり攻撃を敢行、壮烈な死を遂げました。
彼の遺書が残されていました。一部、登場人物の個人名が連ねてある部分は、本の内容と繋がっていますのでここでは省略致します。

『三〇一部隊の諸君、今日迄のご厚意を感謝する。私は諸君と別れたくないがこれも軍人としての宿命だと思って諦めている。...省略... 君達の思い出を胸に、私は何も思い残す事なく敵艦に突入出来る。君達がこの手紙を読んでる時はもう私はこの世には居ないだろう。三途の川を一人で泳いで渡るのは私には少し淋し過ぎる。諸君の来る迄三途の川原で昼寝でもしながら待っている。早く来てくれよな、それ迄諸君元気でいろよ。会うのが辛いから黙って征くー 三〇一戦隊一同殿 古川中尉より』

生きたいという未練が切に感じられる遺書のように私は思いました。
当たり前ではないですか?健康で若さみなぎる人間が、今一瞬にして溢れんばかりの感情を胸に鎮め、死ななければいけないこと。それでも他人への気配り、感謝、愛情に満ちあふれていたこの人の言動は、文章として読んでいても胸が張り裂けそうな思いです。
しかし、このようにして遺書を残したのは古川さんだけではありません。多くの出撃された隊員達が、遺書を仲間達に残して逝きました。この本の中には14才の特攻隊員まで出てきます。彼は出撃のため足りなくなった戦闘機の燃料補給を要請しに鹿屋基地へ立ち寄った別部隊所属の隊員です。その彼も『...前文省略... 後の事は宜しくお願い致します。...省略...  戦争のない平和な世界になる様努力してください。私はさようならは言いません』と綴った一通のメモを残し、明け方、そのあまりにも短過ぎた一生に幕を閉じました。今の世の中では信じがたいでしょうが、そうした多くの散華した特攻隊員はわずか10代の青年達です。
尚、この本の登場人物の名前はご遺族、ご家族の事情により、一部仮名となっています。

自分が他人や家族に何かをしてあげたではなく、逆に自分は今までの人生において何かをしてもらってきたということを忘れたくないとおもいます。誰一人として”してあげるだけの人生”は送っていないはずです。それに気付いた時、人をただ憎むことができますか?いかなる理由があっても、自らの命を絶つことができますか?もしくは犯罪に手を染めることができるのですか?あの時代に生まれた人達は、命こそあればもっともっと精一杯生きたかったのに....

様々な事情から”人生が自分の思うようにいかない”と思っている人が、この世には数えきれないほどいるのだということを今まで生きてきてわかっています。人が抱える苦労の種類は本当に様々だと知らされます。
でも中には自分の独り善がりが作り上げた”うまくいかない”ケースだってあると思っています。誰かや何かを許すことができなかったり、あるいは妬みや”ひがみ”、悲観癖、被害妄想、孤独感にさいなまれ、それらに打ち勝つ事ができないというのであれば、その人はまず自分中心に人や物事を見ているというだけでなく、自己愛が強すぎるのだと思います。たとえばその理由として”自身の弱さ”を常に思っているのであれば、それだけで自己中心的なことなのです。
私はこの本の中で唯一際立ったのは、ある参謀達の強すぎる自愛と、そこからきた行動だと気付かされました。なぜならここに出てきた人物は、あまりにも純粋で、あまりにも”けなげ”な、他への厚意を誰一人として忘れぬ特攻隊員達でおおよそ全てが構成されていたからです。そんな彼ら戦士にとって自分が生きれるか死ぬかは最大の執念ではなく、戦場に出ると決めた瞬間から彼らは祖国の勝利と平和を頑に信じ、それをもたらすため命を捧げる決心を固めたのです。

この本はまだ生まれてきていない我が子へ贈るために永久保存します。『この世に確かに存在した勇士達』をいつか自らが本を手にとり、知る日が来るまで、完璧な日本語を教えるというのが私の使命のひとつであると思っています。
戦争の真実こそ語り継がれるべきだと強く思うからです。
本は出版されてから何十年経過していますので、先ほど出版先の新風書房に未だ入手可能かどうかを問い合わせたところ、誠に残念ながら絶版となったそうです。
ほかにも生還された特攻隊員がお書きになった著書は数々出版されていますが、最近私自らの用事でインターネット上で特攻隊に関する資料を探していたところ見つけた、元特攻隊員の運営するサイトがありました。さっそく連絡を取らせていただきましたところ、私の絵のため貴重な資料をご提供くださいました。このサイトには特攻や戦争のご自身の体験に基づいた真実が書かれてあり、まだ私自身も全部を拝読しておりませんが、少しずつパズルをはめ合わせるかのように私の持っていた疑問を埋めることにもなりました。本当にありがたく思っています。ご本人の著書も紹介されており、同じく絶版も中にはありますが、これまで数多く出版されていらっしゃるようです。その永末 千里氏のサイトはこちらになります。


- もし貴方が明日戦場に行かなければいけなくなったとしたら、残された一日をどのように過ごし、世界で一番大切なあの人にどのような言葉や行動をたむけますか?戦場に向かう息子へ、あなたは最後どのような言葉をかけるのでしょうか?このことを私たちの現実から遠ざけてくれた(ている)のは、あの時代の全ての戦士たちです。-


長文最後まで読んでいただきまして、皆様方に心より感謝致します。

コメント

  1. ボクも戦争を体験してなく、また現在住んでいる場所も戦争のない地帯なので、平和ボケしていますが、このように「戦争とは、また平和とはなにか」という事に再び考えさせられる機会をいただき感謝します。

    現在かよっている語学学校のクラスメイトの中には「家が爆弾で崩壊しオーストラリアに来た」とか「捕虜になりそうになった」とかの話を聞きます。今も起こっているイスラエルによるガザ戦争や、同時多発テロが引き金となり2003年にあったイラク戦争。日本では情報が少なかったブッシュ政権のしていた事も、コチラで放送されてる内容を見てガクゼンとしてしまいました。映画「華氏911」も日本での映画CMではわからなかったけど、ビデオで見て自分の思っていた内容と全然違ってビックリしました。

    近年でさえもこんなムゴい悲惨な戦争が繰り返され、いつも被害者になるのは、自分の愛するものを守りたい平和を願う人々だと思います。

    「木を見て森を見ず」。目の前にいる者は敵なのか味方なのではなく、何故、戦わなくてはならないのか、何故、戦争しなければならないのか。本当に命を奪わなくては平和にならないのか。。。あの時代に戦わなくてはならなかった日本の戦士たちの命をかけた教訓を悟る事が大切だと思いました。

    森ノ宮にある「ピースおおさか」に行ったことがありますか?ボクも日本に住んでた頃たまたま建築の授業で行ったのですが、教科書に載ってない内容を知りオドロキました。。。

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  2. Noriさん、まず長い文章読んでくださってありがとうございます。そしてコメントで色々な事を知らせていただき本当に嬉しいです。

    海外に出ると、Noriさんの学友のように若い人達でも戦争体験者や被害者がいて、直に会う機会がたちまち日本にいるより多くなるのですね。そんなとき今の私ができることは何かと考えさせられます。
    心から気の毒だなぁと思っていても、それを彼らに向かって口にするだけで軽々しく聞こえるのではないだろうかと思うと、実際言葉に詰まり、何も言えない事が多いです。
    現在もニュースでイラクに派遣されているオーストラリア人兵士が何人も亡くなっていることを耳にします。もう無駄に貴重な命が使われているようにしか思えないのです。

    第二次世界大戦で日本はオーストラリアにも爆弾を投下した事実は私はここに来るまで知りませんでしたから、知らない事実がたくさんあるということです。
    これらの真実をもう何一つ隠さずに、子供のときからたくさんの人に知ってもらうよう日本政府は努力するべきだと思うのです。被爆の話を語り継いでも、そのかげに命を懸けた多くの勇士が居た事は学校では教わりません。家でも実際に戦争に出たおじいさんが居る家庭以外はそのような話は聞かないと思います。聞いてもおっしゃる通り平和ぼけしてるのですから筒抜けで、後世に文章として残さない限り現代の人や未来の人間の心には残らないと思います。そしてもちろんその子供が大きくなったらもう勇士など存在しなかったものになってしまうのです。
    戦争を知らない人が作った戦争映画、戦記などは、美化されていて真実ではないとこのお二人の元特攻隊員は口を揃えておっしゃっています。藤氏は「天皇陛下万歳は言っていません」と。死ぬ前に言った言葉は「おかあさん」であると。

    ピースおおさかには行ったことがありません。そこには戦争の資料があるのですか?

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  3. >藤氏は「天皇陛下万歳は言っていません」と。死ぬ前に言った言葉は「おかあさん」であると。

    真実を伝える行為は、本当に勇気のいる事です。あの時代におっしゃられた言葉だと想像すると深い重みを感じます。Rumikoさんの放つメッセージも勇敢な行動だと本当に思います。

    ピースおおさか、、、大阪での戦争資料がメインだったと思います。拉致問題とかの展示資料とかもありましたが、ネットでの情報だと、片寄った資料展示だという批判も…。なんだか橋下知事も閉館を含め見直しを検討してるとか…。

    ボクは左よりや右よりのどちらでもないつもりだけど、ここに行って衝撃をうけたのは確かです。

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  4. 本当に藤氏からは『どんなことでも、できないことはない』ということを教わりました。ずっと人生において命を懸けてきた方だから、真実を言う事ができ伝えてくださったんだと思っています。あの時代に生きてきた人達を本当に尊敬しています。『強く優しく生きる』とはこういうことなのだと思い、この二つの言葉を噛み締めました。
    Noriさんからのコメントにも私勇気をもらっています。独り善がりな言い方だけど、皆さんとの繋がりをこのブログを通して感じています。本当に感謝します。
    あとピースおおさかのこと教えてくださってありがとう。今度帰ったらぜひ行ってみます。

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  5. 批判になっちゃうので、ずっとコメント控えてましたが、誤解されたままの方がもっとだめなかとおもったんで、ちょっとコメントさせてもらいます。もちろん一部はほんとに近いことがあったのかもしれませんが、この本の内容をそのまま事実と受け取らない方がよいかと思います・・・本にあった著者の略歴がそもそも矛盾だらけです・・・(例えば海兵入校当時から退校とされている間の、当時作成された海兵の分隊別名簿にも当然名前はありませんし、部隊名その他いろいろありますがここでは省略します)なので、僕はこの本を手に取った際に、経歴をみた時点で読むのをやめましたここに書かれた内容だけでも、例えば海軍にはそもそも14才の搭乗員は存在しませんし(予科練の入隊は15才からです)、”三〇一戦隊一同殿”という表現は海軍では使いません。陸軍ならわかりますが・・・そもそも戦闘301は精鋭343空の紫電改の戦闘機隊で特攻隊を出しませんし、301空は解隊されていて、終戦間近には存在しません・・・戦争にご興味をもたれたのは、今後同じことを繰り返さない意味でもすごくいいことだと思いますので、戦争を知りたいと思われたら他の特攻経験者やその他戦争経験者の手記などを読まれることをおすすめします(確か蒼空さんのところに書き込まれていたのは見たような気がしますが)。

    #できれば批判はのこしたくなかったんで、差し支えなければ読んだ後、このコメント削除お願いします。

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  6. 匿名さん

    私の記事をお読みいただき、またコメントを残していただきましてどうもありがとうございました。入れていただいたコメントは貴重だと思いましたので、削除しないことにしました。

    実はこの記事を書いてすぐ、永末様からも同じようなご指摘をいただきました。内容が事実と違いますと。
    私は永末様のおしゃったことを信じています。ところが、このような記事を書いた後すぐにほかの方から記事に関するコメントをいただいたことによって、責任を感じ、簡単に記事を削除したり撤回できなくなってしまいました。永末様にもそのことをお話ししました。そして、事実と違うと知った以上、もう二度とこの事については話しませんとお約束しました。

    匿名さんのコメントについては批判だとは思っていません。逆に、これを削除しない事で、今後この記事をお読みになった方々は、ご自身で記事内容の事実を判断してくださると思いますので感謝しています。

    私もちゃんと勉強をしないで、こういった意見を述べたことを反省しています。

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  7.  実情を知っていたようでちょっとほっとしました。前に実はメールしてみたことがあったのですが、宛先不明で返ってきてしまっていたので、どうしようかなと思ってたんです。ひさしぶりに見てみたらそのままだったんで、知らずにあちこちで事実として広まっちゃうとよくないかなと思って書かせてもらいました。(他の所でこの本を元にした記事もみたことあったので)
     僕も片方の親が戦後生まれでしたから、いろいろ本を読みあさって学んでいます。その中で結構名前、起きたこととか、事実と違うことがあって、ときどき間違いの方が一般的に広まっていることが少なくないことに気づきました。貫壁にすべてを記憶しておくのは無理なので、細かい事実の間違いがあるのはしょうがないことなんですが。それで、今は一次資料をいろいろ集めてまとめるようにしており、それをもとにこれは事実じゃないとか、記憶が前後しているのかな?とかそういう判断をしつつ読むようにしています。そうしている過程で実はこの本にあいました。古本屋でみかけて手に取ったんですが、ちょっと読んでおかしいと直感して、とりあえず経歴その他を調べたところやはり一部しかかいてませんが、上記のように矛盾だらけでした。それで知り合いなどを通じて事情を知っている人がいないかきいたりしてみたところ、ある搭乗員出身者の会でも一時この本は話題になったようで、著者に電話をかけていろいろ質問したこともあったそうです。結局なにもまともな返事がこなかったと伺いました。(僕自身は伝聞ですから、直接の返答がどうだったかはざっとしか知りませんが)そういういきさつもあって、たぶんほとんど事実じゃないと判断した次第でした。
     永末さんはさすがに実際に経験された方(もちろん予科練卒業者名簿にもあります)のでおっしゃっていることを参考にされるといいと思います。もちろん他隊とか、自分が直接関わってない範囲では、ときどきご存じないための間違いもおっしゃったりしてますので、一人ではなく、いろいろ見られて学ばれたらいいと思います。長文失礼しました。

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  8. 匿名さん

    返事をくださってありがとうございました。
    この本との経緯を詳しく丁寧に教えていただき、その判断の理由をよく理解しました。
    私は永末様のサイトやブログを徐々に拝見し始めてから、実情と違う神風特攻隊に関する本が世の中に出回っていることを知りました。永末様(やそのほかの特攻隊員)に申し訳なくて、ショックでした。

    おっしゃるように、真実でない事を真実と思って勘違いをすることは確かによくないです。間違いを正そうと、以前メールも送ろうとしてださったということでしたので、重ねてお礼を申し上げます。

    この機会に、この場から神風特攻隊の実情が伝わることを願っていますので、いただいた貴重なコメントも記事もそのままで置いておこうと思っています。

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  9. たしか藤良亮というのはペンネ-ムで本名ではないと聞いております。

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    1. 匿名さん

      コメントをありがとうございます。
      本名ではないのですね?そうかもしれません。。。

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