スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

7月, 2009の投稿を表示しています

ジム通い始めました

念願のジムにようやく通い始めました。昨年いっぱいで閉鎖していたジムが、スビアコ市民の再開して欲しいとの要望と署名活動などによって、今までは民間の会社による経営でしたが、今度はスビアコ地方自治体管理のもと再開しました。(私の住んでいる地区の名前がスビアコです)

私のメンバーシップの期限が切れたのが昨年の10月でしたから、なんと今日で10ヶ月振りでした。 その間ジョギングは行っていたものの、冬になってからやや気まぐれで、10ヶ月前と比べると見事3キロ太っていました。 私は普段眼鏡をよくかけていますが、ここ2ヶ月くらいの間、夜になると眼鏡のこめかみの締め付けがきついと感じていたのです。どうやらこの2ヶ月で3キロ増えた模様です。顔まで大きくなってしまったなんて、体型の変化一体どこへ現れるやら。 そういえば、昨年とは運動量が倍くらい減っていますね。昨年なら5キロは軽く走っていましたし、最高で12キロ走っていたときもありました。(12キロの翌日は、誰が見ても痩せたと気付く程で、体重は一日で2キロ減っていました)
今日はさっそく、ずっと気掛かりだった体力が落ちているのかどうかを見ようと、試しに昨年と同じ重りでウェイト・トレーニングを行ったんです。下半身の筋力は落ちていませんでしたが、上半身が弱くなっており、特に肩、腕、背中の肩甲骨あたりの筋力が思ったより落ちていました。 ショックなのですが、やはり30才を越えるとある程度の運動は不可欠です。おまけに30才から美を磨こうものなら、お化粧ペタペタでは無理で、やはり日常、人より倍の努力が必要だということです。
健康も美も一日にしてならず。
2ヶ月で増えた分を徐々に落としていくようがんばります。

BELEZA BRASILEIRA

Adriana Lima アドリアーナ・リマ
ブラジル出身の人気スーパーモデルです。若い女性の方ならご存知だと思いますが、ヴィクトリアズ・シークレットのモデルとしても有名です。
ところで、美しいブラジル人を見ると思い出すことが・・・ 私は昔、二人のブラジルに住む友人の家に招いてもらう機会があって、ブラジルに行ったことがあります。 大阪→東京 東京→シカゴ シカゴ→マイアミ マイアミ→リオデジャネイロという経由で、すぐに飛行機酔いをするという虚弱体質ながら、半強行突破的に行きました。総飛行時間24時間で、乗り継ぎ時間を合わせるとなんと32時間という恐ろしい旅でした。 当時24才くらいだったかな、今考えるとぞっとします。特にシカゴ→マイアミ間のフライトについては極限の疲れにより記憶が飛んでしまっています。最初から最後までぐうぐう寝る始末でした。
ところが、マイアミからリオデジャネイロのフライトについては、もの凄く鮮明に覚えています。 というのも、24年の人生の中で、私がもっとも美しい女性を見たのがこの飛行機の中でした。正確には飛行機の待ち合いロビーでした。
正直言って、彼女は格別な美しさだったのです。もちろんその魅力に気付いたのは私だけではなく、周りの人(特に男性)は、彼女が歩き出すと一瞬驚いたかのように仲間同士顔を見合わせるほど。機内では、彼女がお手洗いに行くのに通路を歩き出すと通路側の男性陣が通路に顔をポッコリと出し、通り過ぎるやいなや、振り返るといった感じでした。 そう、そんな素敵な彼女はブラジル人だったのです。(彼女がロビーで電話中、私は盗み聞きしていました) ボリュームのあるカーリーヘアーで、浅黒く、手足が長く、均整のとれた体、おまけに瞳はグリーンでとてもエキゾチックな顔立ちでした。限りなく白人に近い、おそらく白人と黒人の混血だったと思います。ところが本人はまるで自分の美しさに気付いていないかのように、全く意識せず、それがまたとても自然体で美しさにさらに輪を掛けていたように思います。 実は私は今でも、あの人以上に美しい女性を見たことがありません。 結局、そんなこんなでマイアミからリオまでは終始お目め“ぱっちり“な私でした。
***ここからは私の友人との思い出話***
ブラジルに着くと、友人は家族を引き連れ、空港まで迎えにきてくれました。とても久しぶりの再会でした。遥々来た甲斐があったなぁ…

自然の恩恵

週末の夕刻のジョギングっていいもんです。
今日は人が“まばら“どころか、通りがかる人もいませんでした。近くの家の窓からは明かりが洩れ、子供達の楽しそうな声が聞こえてきました。


いくつもの大木が並ぶ並木道を走りました。

その葉と葉が織りなす影をくくり抜け、まだうっすらと光が射す緩い坂道の先へと向かい走っていきます。

三周目を走り終わったところで、ぽつ。ぽつ。   あら、雨が・・・。 近頃スコールが多いんです。

走り終わったあとの熱の籠った体を冬の雨がそっと優しく冷やしてくれたような。
明日への活力がまた湧いてきます。明日は私が大好きな人に会うんですよ。



自然の恵みを体いっぱいに感じながら、今日も健康であることに感謝。


神風特攻隊6

白菊特攻隊の春木茂さん。 『白菊』とは飛行機の名称です。
*太平洋戦争末期、すでに大きな打撃を受け窮地に追い込まれた日本軍の決死の作戦として『神風特攻隊』の編成が行われることになりました。 一部の志願者のみが行うとされてきた“体当たり攻撃“を全保有機をもって行うとの指令が、作戦用に新たに編成された第十航空艦隊に、航空艦隊司令部より下されました。 その結果、偵察搭乗員の練習機として使用されていた『白菊』を改造し、特別攻撃作戦のための実用機としてこれを使用したのだそうです。
その白菊の操縦員であり、菊水第三白菊隊の指揮官をなさっていた愛知県出身19才の春木 茂さんは、昭和20年6月25日に出撃するも、機の油漏れのため引き返してきた際、隊長の「次の機会を待て、もう出なくてもよい!」との制止を振り切って、翌日単独で発進し沖縄周辺の敵艦船に体当たり攻撃を行いました。
永末千里さんのブログによりますと、春木さんは正義感に溢れ、責任感が強く、積極的。皆のまとめ役として活躍なさっただけに、存在感の強い方だったそうです。 それを裏付けるかのような鋭い眼差しと苦悩に満ちた瞳は、もはや私が思う19才の少年の面持ちではありませんでした。今まで描いた特攻隊の中でも、特に印象的な目元を持った春木さんは、私の心を掴んで離しませんでした。
子供が子供ではいられない時代。子が親より先立つ時代。 戦争がもたらした悲劇を感じずにはいられません。

*永末千里さんのブログ内の『16−5 大東亜戦争の呼称について』により、これからは太平洋戦争ではなく、大東亜戦争と呼びます。

神風特攻隊5

上から順に、601航空隊所属だった溝口 和彦さん、佐賀県出身の18才。 同じく601空所属の右田 勇さん、大分県出身の18才。 そして百里原航空隊所属の福田 周幸さん、福岡県出身の17才。 この三名の方は神風特攻隊に編入されました。

この一枚の画用紙に上の三名を一緒に描いたのは、お互いに面識があったのではないかと私が思ったからです。 溝口さんは昭和20年8月にお亡くなりになり、下のお二人は20年の4月に11日違いでお亡くなりになられました。

戦争のない日本の現代であっても、人生には様々な苦悩がありますが、いかなる辛い事情があるときでも、蒼空に散ったこの少年達を思い出し感謝の気持ちを胸に抱いていこうと思いました。
永末 千里様のサイト

スタイル

ファッションて楽しくて好きです。 もちろん女性ならほとんどの人が興味のあることだと思います。 先日、マイケル・ジャクソンの影響を受けたファッションショーを記事にしてみて思ったことですが、デザイナーズの服は格好いいけど、値段が高くて一般人の私には結局手が届かず`いいなぁ`で終わってしまうんですよね。 でもこんな風に(下の)バジェットなアクセサリを身につけるだけで、私もなんちゃってマイケル・ジャクソンになれるわけです。(たとえばなんですが・・・)
アパレル業に37年携わっている母がいつも私に教えてくれていたことがありまして・・・ ファッションは着こなしなのだと。どんなに高価な服を身につけても、自分自身が服に負けてはいけないんだと。いつも自分という人間が先に目立つのが『服を着こなす』ということだと言います。そして全身を安い服で固めないこと。よいものと混ぜて着ると、重みが出てぐっとおしゃれになるとか。 母が思う究極のおしゃれとは、糊の利いたしわしわの真っ白のシャツに、ピカッと光る手入れの行き届いた皮靴を履くことなのだそうです。確かに、それを身にまとう人とは・・・と、一瞬どんな人かと考えてしまいます。 そんな母がさりげなくてとてもおしゃれだと思う人とは、アニエス・ベーの創設者でありデザイナーのアニエス。 私もそういったことから、中学生の時から自分で自分の革靴を磨くという習慣を身につけていました。


この中では一番高価なデンマークのGeorg Jensen
バングル


French Connection(オーストラリアで購入可能) ベルト AS$49.95=¥3,696


French Connection ベルト £9=¥1,360 

イギリスにショップがあるHOBBs
Patent(エナメル)ブーツ £64=¥9,600
私は上のこれらに、黒のベルベットのタイトなテーラージャケットを合わせ、レザーの手袋を合わせるのが好みです。(今ここは冬なんで)
ほら、なんとなくマイケル・ジャクソンな感じがしませんか?

Gene Tierney 2

ジーン ティアニー
1941年の映画 Sundown(砂丘の敵)より。
ちなみにクジャクの役ではありません。
古い映画のエキスパートの義母にはこれ誰?っていわれるし、義父には初期段階の顔の方が似てたな〜〜っていわれるし、モチーフにした羽はめちゃ大変だったし、さんざんな目にあいましたが一応完成。やれやれ。

世界の歴史に刻まれた歌声 ー Heal The World / Man In The Mirror

MICHAEL JACKSON - 1958年8月29日生まれ







私が生まれる10年前の1966年には、少年はすでに成功への階段を駆け上がっていました。
独自の音楽、踊り、歌声、パフォーマンス、ファッションは常に音楽界の枠や人々の想像を遥かに突き抜け、そのスタイルはのちに世紀の伝説として確立されていきました。


英語が分からなかった何十年もの間、ただリズムのように意味を持つことなく私の耳に響いていた彼の歌声は、私がオーストラリアに移住し英語一色の生活となってから、いつしか心に響く、とても重みのある“言葉“として意味を成すように変わっていきました。

今ようやく、マイケル ジャクソンの”心の声”が私に届くようになり、世界は偉大な歌声を失ったのだと思いました。


Before you judge me
Try hard to love me

僕のことを判断する前に、まず僕を愛する努力をしてくれないか


という『CHILDHOOD』の歌詞が印象に残っています。

これほどまでに激しい人生を駆け抜けて、これほどまでの才能を開花させていながら、生涯にわたりこれほど多くの人に厳しくジャッジされ続けてきたエンターテイナーはいなかったと思います。

エンターテイメント界の頂点に登りつめ、それを40年以上維持した偉人 。
文化・人種・言語・貧富の違いを越え、史上、歌で最も多くの人々を魅了したエンターテイナー、MICHAEL JACKSON。


本当は、自分が世界中の誰よりも自分に一番厳しかったのかもしれません。


2009年6月25日、KING OF POPは人々に”歌”という永遠のギフトを遺して逝きましたー享年50才



週刊誌 NEW WEEKLY




(写真左側)2009年春コレクションのGIVENCHYのスタッズ付きトップとジャケットのコンビ。女性物を堂々と着こなすマイケルジャクソン。その着こなしに脱帽と週刊誌側からもコメント。私もお金があれば欲しい服。



週刊誌 OK。GOODな写真です。



女性との交友関係。左端ブルック シールズとのツーショットが初々しいです。



ファッション誌GRAZIAの表紙




MJスタイル特集


有名なスター達も影響を受ける

2009年春のファッションショーに見るマイケル ジャクソンの影響

ファッションショーはいつも年の季節ごとの流行を発信するため、ここに2009年春と出ていますが、実際は2008年の秋に発表されたコレクションです。 もちろんマイケルジャクソンが生きていた時ですので、今年のカムバック(ツアー)の期待が大きかったのでしょうか?ファッション業界も影響を受けていました。
これらはBALMAINのコレクション(一番下を除く)からですが、マイケル ジャクソン自身も大変気に入り、このブランドの服を何十着と購入したということです。
ある雑誌によれば、おそらくこの上のジャケットがそのうちの一枚だと思います。


以上 BALMAIN COLLECTION
PHILLIP LIMのコレクション
ちなみに全て私も着てみたい服。

NEW YORK

ブルックリン橋です。
私がこれまで描いてきたパリ・ロンドン・ニューヨークは、風景画というよりもその都市のランドマークになっている建築画です。 建築の美しさもまた、大掛かりなこれらの建築を手がけた人々の夢や希望、芸術としての手腕を表しているのではないでしょうか?

NYには今まで行ったことがなく、人混みが苦手な私なので住むには抵抗がありますが、世界にこれほどエキサイティングな街はないのではないかと想像しています。 将来一度は行ってみたい場所です!