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ジェームス ディーン伝


まったく。お金もないのにまた買ってしまった。大スターの伝記。

昨日プチトマトを買いに行くつもりでスーパーに行ったら、その近くのニュース エージェント(新聞や雑誌、文房具などを取り扱う売店)で、本の安売りを発見。吸い込まれるようにそのワゴンに近づいて、粗末にあしらわれた料理本の中から見つけたのはあの男前、ジェームス ディーン。

日本行きも近いし”やめとこか”って思ったけど、あの場所にそぐわないし、表紙の色合いもとても気に入ったので、私のコレクションに加えることに。3ドルの出費のつもりが、28ドルになってしまった。

夜、本を開けて読み出すと、まさに最初のほんの数ページで胸が熱くなってきた。これは今まで読んだ大スターと呼ばれる人達の伝記の中でも、最もスターの素顔に触れた構成になっていた。

父方の祖母エマ ディーンと。まるで、むき卵みたいなきれいな少年。すでにカリスマ性を感じる。

わずか9才でジェーム スディーンは最愛の母を亡くした。それで私が真っ先に思い出したのは、自分の母親の言葉。私の母も16才の時に母親を亡くしている。
「幼い頃や若い頃に自分の母親を亡くした時、その人の苦労はもうすでにそこから始まっている。」と言ったこと。
ジェームス ディーンも同じく、家族の愛情で満たされた彼の人生は母親の病死から一変した。
彼の場合、かつての大スターで、今も世界でその名を馳せるマリリン モンローやエルヴィス プレスリーのように貧しく愛情に飢えた家庭では育ってはいないものの、妻の治療代や葬式代に充てるため、自家用車まで売っていた父親のウィントンは、ジミー(ジェームス ディーンの当時の愛称)の将来のためにと、裕福で信頼出来るウィントンの姉夫婦にジミーを預ける苦渋の決断をした。そしてその後、アメリカ合衆国が第二次世界大戦に参戦、父親は服役することになる。
父親は当時を振り返り、甥にこう語っている。

”妻を亡くしたとき、我が子まで同時に失うとは思ってもみなかった”

しかし、ジミーは幸いにも、預けられた先の伯母夫婦に何不自由なく愛情一杯に育てられた。ジミーが預けられたのちに夫妻に子供が生まれても、我が子と同じように可愛がられたという。それでも、ある日学校のクラスメート全員の前で、小学生のジミーは突然声を上げて泣き出し「お母さんが恋しいよぉ。」と言って、心の奥に沈んでいた深い悲しみをあらわにし、日頃戯れていた友人達もその嘆きに黙り込み、彼の抱えていた私的な事情をその時に認識したのだという。

伯母夫婦にはジミーより年上のジョアンという娘がいた。いとこのジョアンはジミーに自転車の乗り方や乗馬などを親切に教えた。その頃を振り返りジョアンはのちにこう語っている。

”彼は物覚えがすごく早いの。しばらくの間それを完全に吸収し、完璧にマスターするのよ”
”でもある日突然何かでつまずいて転び落ち、また別の事に打ち込むの”

これは、ジェイムスディーンの生涯において繰り返し行われた行動パターンだった。


それでは、彼の名言をいくつかご紹介。(私の翻訳がまずくて、すみません)

”Dream as if you'll live forever. Live as if you'll die today."
永遠に生きるかのように夢を描け。今日死ぬかのように今を生きろ。

”If a man can bridge the gap between life and death, I mean, if he can live on after he's dead, then maybe he was a great man."
もし、ある人が生と死の隔たりを埋める事が出来るのなら、つまり、死んだあとも生き続ける事が出来るのなら、おそらくその人は偉大な人物であったのだろう。


- James Dean

コメント

  1. 最後の言葉、とても印象的ですね。
    まさに彼のことなんですもの。

    毎日悔いのない人生を生きること・・・
    そうすれば明日死んでも悔いはない。
    彼の人生はそのとおりだっただけに、とても悲しい言葉に聞こえます。

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  2. りりーさん、潔い言葉がこの人の生き様とぴったりと合っている感じがしますね。おっしゃるように、本当に印象的です。
    生きる事への執着はなくて、どうやって生きるかが彼にとっての問題だったみたいですね。そんな人が後世に語り継がれて行くのでしょうね。

    早く逝った事は本当に残念でしたが、好奇心旺盛で、後ろを振り返らずに前へ前へ進む性格だったようなので、とてもいい生き方だと思います。

    返信削除

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