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1月, 2011の投稿を表示しています

今日はAustralia Day!

今日1月26日はオーストラリアの祝日で建国記念日です。日本ではめずらしいんですが、自家用車に国旗を掲げる人達や国旗をマントのように身につける人達など、国旗がいたるところで見られました。

昨日はそれに先駆けて、Australian Of The Year Award 2011というイベントがテレビ放送されていました。これは2011年度の最も著名で優秀なオーストラリア人に贈られる授賞式のことです。過去には日本でも有名だった水泳のオリンピック選手、イアンソープさんも受賞されています。

賞を与えられた方々の名前をだれひとりとして分からなかった私ですが、Young Australian Of the Year;今年度の若いオーストラリア人に贈られる賞を受賞した人だけは、さすがに知っていましたよ。
ジェシカワトソンさん。16才という若さで、たったひとりヨットで世界一周という偉業を成し遂げた女の子です。
ワトソンさんが7ヶ月の航海を終え、シドニーハーバーに戻って来たあの日、新聞にも大きく取り上げられ、メディアでも生中継でワトソンさんの操縦するピンクのヨットがハーバーに入って来る様子が放送されていました。オーストラリアの国民が、かたずを呑んで見守った感動の瞬間です。その際、多くの一般人や撮影のテレビ局が船を出して、彼女のそばまで迎えに行き栄誉を称えていました。




昨日の受賞式では18才に成長したワトソンさん、総理大臣と多くの人を目の前にして堂々とスピーチをされる姿が格好よかったです。言葉の隅々まで、はっきりとは覚えることができませんでしたが、このようなものでした。

「私はどこにでもいるごく普通の女の子です。もちろん世界一周の航海には多大な恐怖がともないました。でもこれだけは知っていて欲しいのです。だれでも、できると信じて努力を重ね挑戦すれば、どんなことでも成し遂げられるということを。それは世界一周の航海でなくてもいい、例えばそれが数学のテストに受かるということだったり、地球環境を考える研究であったり、スポーツなどなんでもいいんです。自分の夢を描くこと、そして何よりそれを実現するための行動を起こすことの大切さを知ってください。2011年は、皆さんでその行動を起こす年にしましょう。」
数では少々年を重ねたワトソンさんですが、表情はあの頃と変わらずまだあどけなく、ごく普通の18才といった感じ。…

ムーミンが来た

昨日はなんだか夏が終わりを告げ忘れ、秋を通り越して冬がやってきたみたいな寒い一日になりました。。

実は昨日、日本から一ヶ月半、ゆるりゆるりと船で航海をしオーストラリアまでやってきたムーミンパパとフローレンスが家に遊びにきました。
しかし私は驚いた〜、だってムーミンもママも置いてきちゃうんですからね。未来の息子のお嫁さんとこんな長旅にでるなんて!なにか訳でもあるのかしら?

でももしこの関係、今の私と旦那のお父さんとの関係に例えると、、、いや、意外とすてきなことではないですか!ムーミンパパさすが。紳士だからこそなせることですよね。



うちの庭は今草でボウボウしていますが、ムーミン谷にちょっとでも似ているかもしれないと思って、ふたりを庭に案内しました。

こんな鳥、しょっちゅう庭にいるんですよ。いちおう鶴です、鶴。餌を探しています。


やっぱ、彼らはフィンランドの大自然の中で育っているので、顔がのんびりしてますなぁ。。。なんてかわいい。


そういえば、話は変わりますが、先日チェリートマトを買ってきました。500えんくらいで、すでにこんなに立派に育ったトマトの蔓、ホントお得です。私はテラコッタのポットに入れ替えて、玄関で育てています。出掛けて家に帰って来ると、ついひとつまみしてしまい、今や青々とした成長過程のトマトしか残っていません。 トマトは毎日のお料理にも活躍しますので、もし初めて野菜やフルーツを育てるなら、私はトマトをおすすめします!甘みが増してパックリと割れるようなトマトを育ててください。 近いうちにレモンの木も買ってきて、大きなテラコッタの鉢に植えようと思っています。これは家の外観にもおしゃれな雰囲気をそえるので、私が夢に描いていることのひとつです。憧れのイタリアのような暮らしにちょっとでも近づけそう。。


昨夜は得意のトスカーナ風鯛の香草オーブン焼きに、スライスしたメロンを添えました。うちでは、メロンはフルーツとしてだけでなく、肉、魚の夕食のサイドデッシュやサラダとして役立ててます。メインの味を全く邪魔せず、なかなかセンスのいいおしゃれな味になりますよ。


NEWオフィス

私たちのオフィススペースがこのようになりました。

前に我が家のDVDコレクションを見てみたいとおっしゃてくれたブロガーのまさしさん、これがデスクの反対側にあるDVDコレクションです。 中には本棚とCDラックも含まれています。DVDの数は約400枚くらいです。
その中でも私が所有しているのは、『ウォレスとグルミット』、それとオードリーヘップバーンとマリリンモンローのほとんどの映画、チャップリンの映画1枚、マイケルジャクソンのミュージックDVDで、締めて20枚くらいです。 私自身の趣味ではないんですが、映画俳優の直筆サインフォトをいたるところに掛けています。壁の飾り付けは全て旦那に任せました。しかし、スパイダーマンだけは私のすぐ目の前のデスク上に飾るよう頼みました。私の日本の母は、スカイプのビデオでこの部屋を毎週見ていますが、一番センス溢れる部屋で好きだと言ってくれます。
これらの額を買う時、彼は決まって私にいつも「将来俳優がこの世を去った時に高く売れる」と言います。「でも将来売る気はさらさらないんしょ?」と返すのが私のおきまりのセリフになっています。 額の前にあるフィギュアは『ガッチャマン』です。旦那は子供の頃に父親の仕事の関係で香港で育ったのですが、ガッチャマンは当時香港でも大人気でした。もちろんガッチャマンはその後アメリカやオーストラリアにも渡り、英語版では”Battle Of The Planets”という題名で、70年代から80年代初めにかけて西洋の子供達の間でも大人気のアニメだったそうです。

手前に私のイーゼルが写っていますが、私はこのように、たくさんのDVDとセレブリティの写真に囲まれた場所で絵を描いています。もともと人間の顔が好きな私なので、この部屋だけでなく、家中の壁は人の顔だらけです。人間の顔はそれぞれがふたつとないユニークな物なので、そこに魅力を感じるんです。

以前話題にした額屋に頼んで入れてもらった特大ポスターですが、デスク上の壁を埋め尽くすようにずらりと吊るしました。
こうやって並んだ額を見ていると、コロンビアピクチャースやワーナーブラザーズなどの映画会社に存在しそうなオフィスに見えるねと、ふたりで話していました。


映画『E.T.』の額はリビングにあり、ドリューバリモアなどの主な出演者達の直筆サインとスティーブンスピルバーグ監督の直筆サインが入っています。

Marilyn Monroe

Marilyn Monroe マリリンモンロー
This print is available at Celebrity Art Prints.
ーバイオグラフィーー
by The Beauty Of Art
参考資料:Images of Marilyn Monroe
マリリン モンローは、1926年6月1日にノーマ ジーン モーテンセンの名でアメリカ合衆国ロサンンジェルスに生まれた。後に世界的に知られるようになるマリリン モンローという名前は芸名である。 マリリンの母親はマリリンが生まれる前、映画製作会社でフィルムカッターの仕事をしていたが、そこで職人の監督を務めていたチャールズ スタンリー ギフォードがマリリンの実の父親ではないかとされている。しかし当時母親のグラディスは、二番目の結婚相手であるマーティン エドワード モーテンセンの姓から取ったモーテンセンで職場に名前を登録しており、マリリン自身もモーテンセンの姓で出生登録されているが、母親とその夫との関係はマリリンが生まれるずっと前に終結していたことから、マーティン モーテンセンは実の父親ではないと考えられている。実際のところ、マリリンが自分の本当の父親が誰なのかを知ることは一生なかった。
片親で育てていくうち、すぐに生活が苦しくなったグラディスは、マリリンを里子に出すほかなかった。グラディスの知人ボレンダー家は、他人の子供を養育した経験があるため、マリリンを育ててもらうことになった。マリリンはそこで7才まで育てられ、母親とも頻繁に会う機会を与えられていたいたという。1933年に一度マリリンは母親に引き取られるも、翌年母親が鬱病を発病し精神病院に入ることになる。その後マリリンを養子にしたのが母の知人グレースだったが、のちに間もなくグレースが結婚することになり、マリリンは孤児院に入ることになった。 1942年、安定した職を手に入れたグレースの夫が、16才になったマリリンを迎えに孤児院へと向かった。しかし、マリリンは21才の近所の青年と結婚することで、”たらい回し”の現状から抜け出していた。のちすぐに軍事工場での仕事を見つけたマリリンだったが、そこで偶然フォトグラファーの目に留り、モデル会社と契約、モデルとしてのキャリアをスタートさせる。褐色の髪の毛をブロンドに染め出したのがこの時からである。  夫は海軍に徴兵され海外へ行くことにな…

心に花咲く

シドニーの義妹家族から、たった今メッセージを添えて花束が贈られてきました。うるうると目に涙がこぼれます。この家族の元に嫁いで幸せです。

しばらくぶりの

長い間何も言わず更新を怠ってしまい、すみませんでした。前回の更新から、気付けばもう2週間が過ぎてしまっていました。
日本でもニュースが流れていたそうですが、昨年末か新年早々に始まったオーストラリアのクィーンズランドの大洪水で、オーストラリアは1974年に起こった同州での洪水以来、今年洪水災害では最悪の年を迎えています。
私もここパースで昨年、ゴルフボール大の’雹’が降ってきた日を経験し、雹が降っていた約30分の間に、見る見るうちに家が床下浸水したのを再び思い出しました。先日その洪水のニュースの中で、逃げ遅れたと思われるある家族が屋根の上に取残された映像を見て、自分の経験から、やはり水が見る見るうちに上がってきたに違いないと直感しました。”なぜ、そんな状態になるまで家にいたのか?”と一見思えるのですが、水かさが増えていくのは本当に一瞬の出来事のように思えるほど早いんです。ましてやこのような大規模な洪水では、人など短時間であっという間に飲まれてしまいます。災害は人間の力では抑えられない本当に仕方のないことなのですが、心を痛めます。
この災害で、パースに住んでいる私に心配しメールをくれたり、ニュースを見てそっちは大丈夫かと親切に聞いてくれたりした人もいたのですが、パースはオーストラリアの西海岸沿いに位置しており、今回被害をうけたクィーンズランドの州都ブリスベンまでは飛行機で4時間半はかかります。ここは日本と同じ島国なんですが、オーストラリアの国土面積は日本の21倍あり、アメリカ合衆国と比べてもさほど小さくはありません。

実は私もこの二週間、自分自身の問題なのですが、傷心の日々を送っていました。ちゃんと表現するなら、心身ともにつらく、そして痛みに耐えることを強いられた2週間でした。でも今こうしてまたブログを更新できることができ、完全に回復したと感じています。普段私には異国で住んでいる不安というのはいつも消えず、こういった辛い境地に立たされた時最大になります。でも今回そうならなかったのは、家族のおかげと、この苦悩の日々の中、私に関わって案じてくれたすべての人々のおかげです。ブログを通した友人も含め、どれだけ普段自分が心ごと周りの人に支えられて生きているのか、身にしみてわかりました。その時は自分の心に余裕がなくて気付かなかったのですが、今一段落ついて思い出すと、皆の言動には私…

2011年豪華カウントダウン in SYDNEY

シドニーのランドマーク、オペラハウスと並んで有名なハーバーブリッジを舞台に、今年も恒例の年明けカウントダウン花火が行われました。 私は2004年に、この盛大に行われる花火をライブで見に行ったことがあります。ミセスマッコリーチェアという、オペラハウスとシドニーハーバーブリッジの両方が眺望できる、当日花火が最も美しく見れるという場所に31日の夕方4時に場所取りのため向かいました。おかげで前列の最高の場所を陣取ることができ、興奮のまっただ中、年明けを迎えました。 あの日、のどかなミセスマッコリーチェアが多くの人で溢れかえり、まるで故郷大阪の繁華街のようでした。とにかく、花火が始まる時間までの真夏の焼け付く日差しに、常に長蛇の列ができたトイレには大変な思いをしたのをよく覚えています。 なのでたぶんもう二度と行かないと思いますが、この花火は"must see"- 絶対見る価値あり、なんですよ。パースとシドニーは、実は3時間の時差があります。上の動画は、まさしく私がテレビで見た録画のものと同じものです。同時刻にパースでもパンパンと、大きい花火の打ち上がる音がしていましたが、私はこちらのテレビ放送に釘付けになっていました。
しかし、シドニーのハーバーブリッジを彩る花火は世界一です。私の知る限り、世界一豪華できれいです。それも年々盛大になってきているとか。 湾に浮かぶクルーズ船、真夏の夜、美しいアーチ形のハーバーブリッジ、12分間にもおよぶ花火と、どれもが年の幕開けにふさわしい最高の瞬間を演出します。

みなさん、あけましておめでとうございます。 今年もどうぞよろしくおねがいいたします。