2012年1月21日土曜日

The Beatles


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ビートルズは1960年代にかけて活躍したイギリスのロックバンドで、ポップ音楽の歴史上、商業的に最も成功し、論評的にも最も賞賛された20世紀最大のスターである。メンバーはリズムギター&ボーカルのジョン レノン、ベースギター&ボーカルのポール マッカートニー、リードギターのジョージ ハリソン、ドラムスのリンゴ スターである。



(参考資料:John Lennon The Illustrated Biography)


バンド少年からザ ビートルズへ

1958年、ビートルズ結成以前は、ザ クオーリーメンという18才のジョン レノン率いる16才のポール マッカートニーと15才のジョージ ハリソンからなるバンドで、イングランド北西部の町リヴァプールにて結成された。
クオーリーメン誕生のきっかけには、当時英国の若者達に絶大な影響を及ぼしたロニー ドーニガンやエルビス プレスリーの存在がある。このふたりが持ち込んだスキッフルやロックンロールという音楽形式、歌いながらの楽器演奏、バンドを組むというスタイルに憧れ、これを真似た若者が英国中に溢れたのである。
バンドには、その後ジョンの学友であったスチュアート サトクリフがベースとして加わり、バンドが近く15週間限定のドイツのナイトクラブでのパフォーマンスを控えていたことから、ピート ベストを即席のドラマーとして迎え入れた。これが元祖5人組のザ ビートルズである。

ザ ビートルズは1961年の2月、地元リヴァプールのキャヴァーン クラブでデビューを果たす。ほどなく再びドイツへパフォーマンスのため渡るが、その折、以前より画家を目指していたスチュアートが学業のためハンブルクに残りバンドを退いた。同年、キャヴァーン クラブでのパフォーマンス中に、レコード店のマネージャーでコンサートの興行主希望のブライアン エプスタインがザ ビートルズに目をつけるや否や、マネージメントの経営を申し出た。バンドはこれを承諾した。
その後間もなくしてドラマーのピートが解雇され、代わりにほかのバンドのドラマーとして活躍していたリンゴスターが入る。この4人組こそが、世界が永遠に知るザ ビートルズである。



英国に巻き起こすビートルズ旋風

1962年ファーストシングルの”Love Me Do”をリリースして間もなく、トップチャート20にチャートインする。この頃より徐々にステージ上のパフォーマンスだけではなく、テレビやラジオの出演が入り、地元リヴァプールを離れた巡業が増え始める。
数多くのプロモーション活動と地方巡業をこなした結果、1963年の始めには国内全体で名が知れ渡るようになる。すでにこの時期より熱狂的ファンもおり、セカンドシングルの”Please Please Me”は30週連続でレコード売り上げナンバーワンを記録した。

10代の若者を中心とした”ビートルマニア”が英国中に蔓延。これは報道機関が作り出した熱狂的なビートルズファンに対しての新語である。コンサート前後のファンの群衆を避けるため、ビートルズはファンの関心を反らす変装などの方策をとりはじめる。

1963年8月3日、ロイヤルバラエティーショーのリハーサルのためキャヴァーン クラブでパフォーマンスを行う。多くの観客を相手に一流のステージでのパフォーマンスが多くなった彼らにとって、これが最後のキャヴァーン クラブでのパフォーマンスとなった。11月にはプリンス オブ ウェールズ シアターにて、マーガレット王女と王母を前にパフォーマンスを行う。この場において、ジョンが残したある有名なセリフがある。

ー ”安い席に座る者は手を叩く(拍手するの意)が、そのほかの者は身につけた装飾品でじゃらじゃらと音を立てるのさ。”

(ジョンは皮肉ったコメントをするのが好きらしい。。)


英国最高の輸出品ザ ビートルズ

海外への本格的進出。その最初の国はスウェーデンであった。テレビ出演とパフォーマンスを行うためのスウェーデン一週間ツアーがぎゅうぎゅうのスケジュールの間に詰め込まれた。ここでもまた、ビートルズはファンや群衆に熱狂的に受け入れられたのである。
ビートルズはジョンとポールがマイクをシェアして歌うだけでなく、曲も共同で作っていた。 4枚目のシングル”She Loves You”は英国内のヒットチャートでナンバーワンに。レコードセールスは100万枚を超えた。2ヶ月後にしてようやく曲がトップから後退するも、その座は次のシングル”I Want To Hold Your Hand”と入れ替わっただけという驚愕の結果であった。また、この頃のビートルズの襟なしのジャケットとモップヘアは世界中の若者のファッションに流行をもたらした。

ところが、フランスへの進出は甘くはなかった。フランスのオリンピアシアターでの3週間の出演契約を果たすべく飛んだのだが、空港に降り立つと50人ほどの歓迎を受けただけでなんとも活気のないものであった。
公演中は思わぬ機械上のトラブルに見舞われるも、観客はビートルズの奮闘にまるで無関心。それでもへっちゃらのジョンは、ショーの終わりの観衆の弱い拍手に反応して、すかさずユーモアを差し込んだ。”Merci beaucoup - (Thank you very much)"ならぬ、”Mersey Beaucoup”との。。。(私はその後の観客の反応の方が気になる)

*Merseyとはリヴァプールの川の名前。イングランド北部出身のロックグループを総称しMersey Beatと呼ぶ。

フランスの観衆のなまぬるい反応とは裏腹に、同じ頃アメリカでは、”I Want To Hold Your Hand”がチャートでトップをキープし、セールスが100万枚を上回ったとの電報が入る。これにより、ついにアメリカへの進出が決定する。なぜなら、メンバーはアメリカでナンバーワンにならない限りは、大西洋を渡らないと心に決めていたからである。


Shut Up!: ファンよ黙れ

アメリカで”I Want To Hold Your Hand”がヒットチャートでトップに上り詰めたきっかけはこうであった。
1963年の12月17日、ティーンエイジャーのマーシャ アルバートがラジオ局に同曲をリクエストしたことで、それまでアメリカ国民にさほどインパクトを与えなかったビートルズが人気の基礎を築く結果となったのである。
アメリカに渡ると、まず人気のテレビ番組”ザ エド スリヴァンショー”に生出演し、5曲を歌い上げた。この日の国内番組視聴者数が約7千万人と史上最多を記録。当時の英国の総人口と匹敵する数字である。
ワシントンでの公演では、ステージが客席の中央に位置していた事から、曲と曲の間で何度も中断し、観客の視界を妨げる音楽機器の位置を移動させて、全ての観客にビートルズの良い眺めを確保するようにしていた。それはまさにハンブルク以来の生々しさではないだろうか。。。(笑)

かの有名なニューヨークのカーネギーホールでポップスターがコンサートを行ったのは、ビートルズが初めてであった。そのカーネギーホールでのコンサート中、まるで音楽を無視するかのように、観客のヒステリックな声が音を掻き消していた。これにはついにジョンの口から観客に向けて、”だまれ!”という言葉さえ飛び出したのだ。
この日のショーについては報道機関でさえも、”音楽ではなくヒステリー集団が中心となったショーである”と酷評するに至った。
この異常現象によって、ビートルズは残りのアメリカでの滞在巡業をヒステリー集団を避けるため、大勢の警察隊のなかに姿を暗まして続けるという残念な結果になった。ビートルズは1966年まで世界中でツアーを行い、訪れた国は日本、オランダ、香港、オーストラリア、ニュージーランドなど多数に及ぶ。


ルックスの進化とパフォーマンスの確立

ビートルズといえば、こぎれいなスーツスタイルとモップヘアが有名であるが、これを開拓した人物こそ、あのビートルズのマネージメントをしていたブライアン エプスタインである。メンバーにロックンロール魂むき出しのレザージャケットとジーンズを絶ち、スマートな服装に変えること、エルビス プレスリーのような額の上になで上げた巻き髪をやめて、ドイツにいるスチュワート サトクリフ(元ビートルズメンバー)のように柔らかく髪をセットすることなどをメンバーに求めた。またパフォーマンスの形式においても、ステージ上でタバコをやめることやパフォーマンスが終わったら観客にお辞儀をすることなどもアドバイスした。


オックスファム募金活動とファン思い

ビートルズは英国での人気を確立してから早くにOxfam(貧困者救済機関)を通じて、飢餓に苦しむ子供達への募金活動を始めた。
ビートルズは仕事上、警察や興行者の高位の人達からもサインを頼まれる事が多かったが、 ジョンはそういった人達にサインすることで、本当の忠実なビートルズファンにサインする時間が削られると、これを大変嫌がっていた。
すでに1963年の終わりには、ビートルズは英国民の心を捉え、愛されるバンドに伸し上がったのである。ビートルズが現れる以前は、ポップミュージックには奥深さや高潔さが欠けていると、主流のメディアがポップミュージシャンを相手にする事はなかったが、ビートルズが現れてからは、大衆紙、数々の音楽雑誌、BBC放送までもが喜んでビートルズを報道したり記事にしたりしたのである。


募る不安

しかしながら、ビートルズは爆発的な人気とビートルマニア現象による制限的生活に困惑していた。セレブリティーの地位にある現実から、自らの存在が大きくかけ離れていると感じたり、ファンの金切り声が音楽を掻き消してしまうことにいら立ちを覚えたり、パフォーマンス中に自らの身に危険を感じて深刻な恐れを抱いた事もあった。


ビートルズ50周年

ビートルズがコンサートをやめてからの、1966年以降にリリースした楽曲が実は多くの評論家たちから最もよい評価を得ている。ビートルズの残した業績は現代においてもそれを超える者はおらず、エルビス プレスリーと並んで史上最も売れたミュージシャンなのである。ビートルズは英国で誰よりも多くのナンバーワンソングを生み出し、それらの曲を最も長くトップでキープした歌手でもある。アメリカではビートルズほど多くのアルバムを売り上げた歌手は未だ現れていない。今年はビートルズのデビューからちょうど50年目にあたる。ファンにとっては記念すべき年であろう。

***

ビートルズの歩みはとても全部ここに書ききれる量ではないので、後期における活動や実績は大幅に省かせていただきました。色々な情報をつまんでひとつにしたプロフィールですので、ネット上ではどこにもないようなエピソードもこのなかに混じっています。
英文の資料を翻訳したものですから、誤解している点もあるかもしれません。もし明らかに間違っていると思う点がございましたらご指摘ください。



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8 件のコメント:

  1. 留美子さんの描かれたビートルズの絵はよく似ていますね。
    素晴らしい出来栄えだと思います。
    私もビートルズは大好きですし、そのサウンドに大きな影響を受けました。
    学生時代には、よく真似をして彼らの曲をコピーしていました。

    ここで書かれている事は、私も知らない事が多くあり、留美子さんの調べられたビートルズに引き込まれるように、その文章を読ませて頂きました。
    彼らの素晴らしい歴史がしっかりと判明し、私にも大きな参考になりました。
    お疲れ様でした。
    有難う御座いました。

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  2. J.TERAさんと同じくビートルズの知らないこともたくさんあり楽しく拝見させていただきました。
    英語のものを翻訳されたのですね!さすがRUMIKOさん!!
    ジョージ・ハリソンとリンゴ・スターはどの時点から加入したのかしら?
    今や彼ら4人をしてビートルズという印象が強いのでちょっと興味がわきました。
    4人いっしょのポートレート(でいいのかしら?)もそれぞれの特徴がよく捉えられていて素敵です!

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  3. J.TERAさん、ありがとうございます。絵に対するそのような評価をいただいて、凄く嬉しく思っています。ビートルズのポートレートは、これよりも数段素晴らしい作品がたくさん世に出ていると思ったので、私は視点を変えて歴史やバンドの個性を表すような見て楽しい作品にしたいと思っていました。

    ビートルズは日本人にも非常に人気が高いことから、プロフィールの内容のリサーチに真剣に取り組まねばと思いました。調べると、その人気が普通とはかけ離れていることが確かだったので、もうちょっとその点を掘り下げてみようと思いました。こんなに長い文章を読んでくださって感謝します。

    私もこれでビートルズのファンになりました。見てからに陽気にさせるパフォーマンスや、手拍子まで楽器にしてしまうセンス、歌詞が率直でわかりやすいところ、曲調なども、全てに心地よいメリハリを感じます。J.TERAさんの音楽は聞いた事はないのですが、歌詞のダイレクトな表現がビートルズと似ていると思いました。やはり人柄が現れるのでしょうね。

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  4. りりーさん、ありがとうございます。特徴を捉えたとの評価をいただき、おかげで描いてよかったと今改めて思います。
    元は4人一緒のポートレートなのですが、モデルにした写真が実はとても真面目なシーンのもので(ジョンレノンがある皮肉発言をし、それがアメリカで社会的問題になりつつあるときの)、これにより特に鬱陶しい表情のポールマッカートニーだけ違う写真から描きました。

    ジョージハリソンはビートルズに最初から居るメンバーのひとりです。リンゴスターは最初の即席ドラマーであったピートベストから入れ替わって後に入ったメンバーです。ピートベストはモップヘアを拒絶したとか、あまり腕のいいドラマーではなかったとか、ほかのメンバーのように機転の利く男ではなかったとか、解雇された理由には色々とあるようですけど、本当のところはどうか。。。。
    私が参考にした資料がジョンレノンのものなので、ジョンレノンの秘話だけになってしまいました。
    確かにジョンレノンの皮肉なコメントの数々や機転の良さを考えると、あれについていったメンバーも相当に凄い人物なんだと思います。その証拠に、皆ばらばらになっても未だ一流のミュージシャンで居続けていますから。

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  5. ビートルズがレザージャケットとジーンズのスタイルだったとは! スーツにきのこ頭のイメージしかないので、想像がつきにくいですね。

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  6. はい、昔の10代の頃の写真を見ましたら、レザージャケットやジーンズ、もしくはレザーパンツを着ていました。ヘアスタイルもリーゼントヘアとまではいきませんが、”きのこ”ではないのは確かです。最初は全くパッとしないタイプの男の子達でしたが、芸能界に入ってから急に垢抜けたみたいな感じでした。
    マネージャーも含め、おそらく、バンドを去ってすぐ後に亡くなった超美男子のスチュアートサトクリフに皆がインスパイアされたのではないかと、私は考えてます。今スチュアートサトクリフの画像を見ても、古い時代の人とは思えないくらい彼だけ飛び抜けて洗練されているのです。

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  7. スチュアートサトクリフの画像見ました。確かに繊細な雰囲気の美男子ですね。彼の存在は知りませんでした。

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  8. どんなにすごい人でも、はじめは誰かから影響を受けているんですね、きっと。
    彼は早い時期に亡くなっているから、たとえバンドに残っていたとしても、やはり5人組のビートルズはあり得なかったということですね。運命だな。

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