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ブライトン

ベッドサイドテーブルを飾る青春の思い出

輝かしい町という意味を持つブライトンは、イギリス南東部イーストサセックス州に位置する海辺の街。イギリスではリゾート地として知られる。大学や語学学校などの教育施設が多いため、とにかく若者が多く活気溢れる町なのである。

そしてイギリスでは珍しくヌーディストビーチまである。それで真っ昼間に男性のゲイ同士の恋人達のヌードを目にする事が多々あった、あはは。


http://www.bugbog.com/beaches/british-beaches-uk/brighton-pier-england.html


年間を通して日照時間の少ないイングランドでは、太陽が遅くまで沈まない夏場に一年分の太陽を浴びる。公園であったり、ビーチであったり、昼間水着になって寝転んでいる人を多く見かけるのはそのためだ。ロンドンからさほど遠くないブライトンにはイギリス人の求める輝く澄んだ太陽がある。憂いのロンドナーたちがこの太陽を求めてブライトンまで保養に来るわけだ。


ブライトン駅 (ロンドンまでは1時間もかからない)
http://www.skyscrapercity.com/showthread.php?t=267079 photo by RSWB


一番上の写真立てに入れた絵ハガキはそのブライトンから買って来たもの。私はこの滞在の思い出として、地元にしかないものを買っていこうと思った。
桟橋のパレスピア(遊園地)をバックに、老人夫婦が雨の中を歩く姿がとてもブライトンでしかも英国的に見えた。それに、イギリスでこういう服装をしたお年寄りっていうのは本当に多い。この絵の中のちらっと見えているおばあさんの足元の装いなんて、ホントそのままに表現されていて笑える。


パレスピア
http://www.drhostel.com/travelguide/brighton-travel-guide-information/


私は21才。ブライトンの個性にはまだあまり気付いてなかったかもしれない。
今私が住んでいるオーストラリアのパースは『世界一きれいな町』と称されることもあるけど、ブライトンには洗練された建築物やアンティークショップが建ち並ぶ石畳の小道、それに坂道も多くあって、その美しさがパース以下なんてとても言えないくらい魅力いっぱいの街なのである。

旦那を連れていつかもう一度ブライトンへ行きたいと、今あの頃を振り返って思いを馳せる時間がとても落ち着く。毎晩ねる前にこのハガキが目に入ったとき、私のベッドタイムストーリーが始まるのだ。


The Lanes
http://www.travellingbazaar.com/brighton%201.html

http://www.itraveluk.co.uk/photos/showgallery/cat/557.php

http://www.itraveluk.co.uk/photos/showgallery/cat/557.php

http://brighton.so/shopping/brighton-lanes-antique-centre-ltd


私はこの町でイギリス人の家庭でホームステイさせてもらい、昼間は語学学校に通い、学校が終わると学校の前の坂道を下ったビーチでクラスメート達とおしゃべりし、夜になったらブラジリアンの男の子たちと町に繰り出したりした。

私が入学したのと同時期に、学校にはブラジル人がどさっと入ってきた。それで、私が最初に知り合いになったのもブラジル人だった。英語を全く話せないけれど、めちゃくちゃきれいな女の子だった。ポルトガル語と英語の単語を交えながら、ジェスチャーで一生懸命話してくれた。その子と一緒に居ると、毎日わんさかとブラジル人が集まって、そのうちに私の親しい友達は1人の日本人の女の子を除いてほとんどがブラジル人になった。

このうちのふたりのブラジルの男の子達とは今もコンタクトがあり、なんと偶然にもふたりとも今シドニーで働いている。私も含めオーストラリアでまた縁があったなんて、誰が想像できただろう。

”恋には結末があるが、友情は永遠だろ。”
そのうちのひとりが言ったこの言葉が、あれから15年経った今、私を深く納得させている。




ホストファミリーについても少し話してみようかな。

私のホストファミリーのお父さんとお母さんはどちらも再婚同士のカップルだった。お母さんのふたりの連れ子を入れて家族は四人。週末にはお父さんの前妻との間の子供ふたりが遊びに来る事になっていた。子供たちは全員多感なティーンエイジャーたち。
人目から見ると複雑な関係に思えたが、お母さんお父さんはそれぞれの相手の子供たちを快く世話し、持ちつ持たれつの家族関係は円滑そのものだった。

しかし、私はお父さんとはあまりいい関係を築く事が出来なかった。
他人で留学生の私へ愛情を注ぐのなら、普段離れて暮らしている娘のために愛情を貯めておこう、冷たい態度からそんな風に思っているのではないかと勘ぐるようになっていた。毎週末、娘がやってくるとまるで違う人物だったのである。それをカヴァーするわけでもないのだろうけど、お母さんはやさしくて、カレー作りが上手なステキな女性だった。

お父さんは弁護士、お母さんはアメリカンエクスプレスのエグゼクティブであったから、裕福な家庭だったのであろう。お母さんの前夫はロンドンに住むインド人の起業家で、なんとこの前夫まで、月に一度、週末ロンドンからやってきては家に顔を出していた。

子供たちはアイルランド、イギリス、スコットランド、スペインの血をお母さん側から、そしてインドの血をお父さん側から引いていた。
お兄ちゃんのレイモンドはどこからどうみてもインド人にしか見えなかったが、弟のアンドリューはユーラジアン(ユーロ人+アジア人)のその混ざり具合が絶妙な美しい少年だった。


ロイヤルパビリオン



私は毎朝家から学校に行くのにバスを2度乗り換えなければいけなかったが、その乗り換えの停留所がロイヤルパビリオンという宮殿の前にあった。(内部見学が可能で、現在は多目的ホールとして使用されている)
インドの建築様式を取り入れたロイヤルパビリオンはそのエレガントでオリエンタルな外観が目を引く。イギリスなのに、インドのマハラージャが住んでいてもおかしくないような趣だ。

私はなぜかこの”ロイヤルパビリオン”と、上の写真の遊園地のある桟橋”パレスピア”をブライトン滞在の最後まで思い違いしがちだった。あるとき、ついにはパレスピアでの人との待ち合わせに失敗し、結局会えなかったという情けない思い出まである。そもそも遊園地に”パレス(宮殿)”と名付けてるのが私にはややこしかったのだ。


http://www.bugbog.com/beaches/british-beaches-uk/brighton-beach-england.html


ブライトンを去る日が近付いて、ホストファミリーにお世話になったお礼として何を贈ろうかと考えていた。
日本食は初めて家に来た当時に一度ふるまってはみたけど、焼きそばのソースをBBQソースに変えたせいで、これがあまり歓心を得る事ができなかったみたいだから料理だけはやめようと思っていた。確かに自分でもサイテーな味だったと認める。

それで画材屋さんに行って、画用紙とパレットと筆と黒の水彩絵の具ひとつを買って来て絵を描き始めた。ロンドンのビッグベンとタワーブリッジを重ね、ひとつの景観におさめたモノクロの想像画。気に入るかどうか分からなかったけど。。。思い出として受け取ってもらえたらという気持ちで描く事を選んだ。

渡したとき、自分も皆の反応を見て驚いたけれど、受け取った方もかなり驚く物だったらしい。私が絵を描くなんて思いも寄らなかったようだ。
お母さんからは「器用なんだね〜!」と、そして子供たちからは「おぉ!クール!」という言葉をもらった。
しかし、お父さんにはいつもの調子で「タワーブリッジとビッグベンが同じ場所に建ってない事わかってるよね?」と言われた。こんにゃろ。
絵の中では現実にあり得ない事が成り立つ。現実世界のように、こうしなければいけないとかこうしてはいけないというルールはない。今だったらきっとそう言えたけど。。。

その3日後くらいに、お母さんが「ちょっと見て。」と言って私を子供部屋に連れて行った。すると、私の絵が額に入れられ、すでに壁に飾られていたのだ。
「子供達が絵をすごく気に入って、これを自分達の部屋に欲しいって言ったの。」とお母さん。そう聞いてうれしかった。


帰国して3ヶ月か半年後くらいに、家族宛に手紙を書いてみた。お母さんからすぐに返事が来た。

3枚もの便せんに家族の近況が綴ってあり、食い入るように読んだ。それにマリーナ(ヨットハーバー)の近くへ引っ越したのよと、新しい家についても書かれてあった。


”もうあの家に住んでないのかぁ。。”
と思ったら、帰って来てからの何ヶ月かが長い年月の経過のように思えた。滞在中に過ごした部屋に少し愛着があったのかもしれない。




もう家族との連絡は途絶えたけれど、青春の日々、15年前のブライトンの風、毎日部屋のラジオから流れていた音楽を忘れない。
当時、サザンFMで毎日ヒットチャートに入っていた曲だ。何十年経って聴いてみても、夏のブライトンが鮮明に目の前に浮かび上がる。


 ブライトンビーチ
http://wvs.topleftpixel.com/07/01/26/


いい想い出は私から去って行った人達に対する執着心をきれいに切り離し、また私に新たな人生の旅を続けさせてくれる。それが原動力と言ってもいい。

出会いと別れ、それでも決して終わりじゃない。そこにいい想い出があれば、永遠にその人と関わっているんだと私は思う。

コメント

  1. ブライトンに住んでたんだね!
    ブライトンと言えば、パーティーの街にというくらいしか印象に無いけど、ルミちゃんのブログ読んで、素敵な街なんだーと勉強になりました。

    ルミちゃんがブラジル人の男の子と夜くりだしていたっていうのが、個人的にはすごく印象にの残ってるなぁ。
    きっとみんな気の合う良い仲間だったのかなぁと想像しています。
    そして、まだ連絡取り合っているというのが、驚き!!!

    私がイギリスに語学留学していた頃の友達は一人としてもう誰とも連絡とってないものね。。。ルミちゃんは交友関係にとても恵まれている気がするわーd(-_^)

    ホストファミリーにあげた絵画はまだきっと。どこかに飾られてるね。見てみたいわーーー。
    しつかしホームステイのパパ、へそ曲がりだねぇ。

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    1. ブライトンはかなり個性的な町だったよ。まるで小さなロンドンみたい。えりこちゃんも行ったらきっと感動する場所と思う。遊び場も多いね。

      ブラジルの男の子たちは気性が激しいのかと思ってたけど、皆気立てがよくてやさしかったよ。遊びにいくときは必ず誘ってくれたし、日本の話も興味津々で聞いてくれた。ま、他の人は知らないけど、私の友達は皆落ち着いていて本当に持っていたイメージと違ってびっくりした。ブラジルにも呼んでくれて、遊びに行ったことがあるよ。

      えりこちゃんはイギリスのどこにいたの?

      ホストのお父さんはちょっと怖かった。たぶん悪い人じゃないと思うけど、私が若かったから、それにどう対処したらいいのかがわからんかったのが問題やったと思う。今やったら仲良しになれるかも〜。

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  2. ブラジル人の子達は、私もパースの語学学校で何人かクラスメートいたなー。
    でも、女ったらしもいれば、筋トレ一筋タバコもお酒もやりません!という人、バンド(音楽)一筋!なんてのもいたり、あと、いつもプロテインジュース飲んでるファッションモデルの子もいたしね(笑)、なんか色々でした。

    でも、共通して言えるのはやはり、ラテン系。
    凄く人懐っこい。フレンドリー。
    あと、日系の人たちを普段から知っている分、話が合うなーという瞬間は多かった気がするよ。でも、深い友達にはなれなかったねぇ。

    そして、いつも感心したのが、男子みんなランチの後トイレで歯を磨いていた事!!!驚いたよ。何だったのだろーかあれは。。。

    そして、ルミちゃん、ブラジル行ったとは!!
    ブラジル治安が凄く悪いって聞くけど、友達と一緒なら大丈夫だったかな?でも、羨ましーわー。南アメリカ興味あるー。

    イギリスの話だけど、イギリスの南の方はもっと探検してみたいなぁ。

    私はOxfordと北LondonのHighgateという所にいたよ。
    Oxfordはホームステイで、Highgateは寮にいたよ。
    寮生活は変な子にたくさん出あって超楽しかった。一生の思い出☆

    若い頃に色々体験するべきだねぇ。
    必ずそれが今の肥やしになってるもんねぇ。

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    1. うんうん、人懐っこいね。私も話が合うって、それ真っ先に思った。お互い地球の裏側に住んでいるのにね。
      食後に歯磨いてたってすごいね。確かに西洋人はほとんどの人が歯がきれいで、それは一番見習いたい。もう遅いかもやけど。あはは。

      ブラジルってめちゃいい所だったよ。リオデジャネイロに行ったとき、私もしかしたら世界一きれいな場所に来たんでないかって思った。サンパウロは南アメリカのイタリアって感じだったよ。それに高層ビル郡が半端じゃない。NYにも似てるかもしれん。
      ブラジル人は熱くてやさしいし、おしゃれやし、美男美女が多いし、物価安いし、革製品のデザイン(靴とか)が格好いいし、食べ物もめちゃ美味しかった。欠点はたったひとつ、危ない所。それも盗難の危険と命の危険の両方がある。だから歩く時はブラジル人の連れがいた方がいい。それにきれいな格好で歩いては危ないと言われた。
      色んな意味で、若いうちに行った方がいい所。だいたい飛行機に乗ってる時間24時間やからね。あのとき絶対寿命縮めたのよ、私。

      オックスフォードってすごくいい所だね!私も旅行で行った事がある。慣れたら退屈かな?ハイゲイトってノーザンラインでしょ?ラインは違うけど、私もその近くのサウスゲイトって所に住んでたよ。えりこちゃんもいい思い出たくさん作ったんだろうね!

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  3. 一番最初のブライトンの写真素敵ですね!!
    お年寄りだったのですね。若い恋人同士かと思いました^^でも素敵な年の重ね方ってあこがれます。いろいろな体験も人生の色付けですよね。RUMIKOさんが体験されたブライトンの生活も今につながっていて、その根底にしっかり根付いているのだと思います。
    私のまわりにはラテン系の人たちはいないけど、情熱的なイメージの南米でもいろいろなのですね。個人的にはアルゼンチンに行ってみたいです。でも危険が隣り合わせというのはちょっと考えちゃいますね(^^;
    またいつかもう一度ブライトンの街へ行けるといいですね!

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    1. りりーさん、ありがとうございます。
      色んな経験が出来てよかったです。思い出しただけで心が満たされます。両親に感謝しています。
      ハガキはお年寄りを描いたイラストでした。ギャラリーに入って、地元のアーティストのはがきや絵を記念に買って帰りました。1点だけ実家に置いてきましたが、そのほかの絵は今家の壁に掛かってあります。ブライトンにいつか行けたらいいですけどねぇ。。。

      アルゼンチンやメキシコなど、南米は魅力的な町が多いですね。ブラジルでは英語が通じなくて全然ダメでした。危険なのもあって、友達がいないとひとりで何も出来なかったです。帰国後はブラジルにはまってポルトガル語を1年間習いました。さすがに男の友達に靴屋に連れて行ってなんて言えませんでしたから、買い物に行くときだけメイドさんをつけてもらいました。次ぎに行ったら、靴ぐらいは自分で買えそうです(笑)!

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  4. こんにちは!

    ブライトンの海、素敵ですね~。
    イギリスにもこういう海があるんだと知りました。

    桟橋に建物がある、というスタイルも初めて知ったのですが、詩情がありますね!私達が住んでいる街の海にも、こういう桟橋の上に、海のシンボルになるような建物を作ったらどうだろう?というアイデアが持ち上がっていまして、

    ちょうどRUMIKOさんのブログを見たら、あ、こういう建物があるんだと知り、非常にタイムリーでした!!

    今、日本の海は海岸が年々減少してしまっていて、実際砂浜が無くなった地区もあるんです。

    砂浜の無い海なんてあんまりですよね!
    今、何とか食い止めたいと少しづつ、活動が始まっているのですって。

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  5. Mayaさん、こんにちは!
    タイムリーな話題でしたか!よかったです。
    海の上に建物があるのは本当にロマンチックで、またなぜか懐かしい感じもしました。日本の海岸が減少しているのは残念ですね。ぜひこういった建築物を日本の海にも作って欲しいです。日本の子供たちが喜びそうなものを。

    パレスピアは遠目からは分かりにくいですが、実はこれがとても立派な遊園地で、ジェットコースターもありましたし、レストランやパブもあり子供から大人まで楽しめる施設でした。自然の中でしかも海の上で家族や友達と笑える場所がある、また夜遅くまで多くの人々で賑わうため、夕刻の桟橋には温かさがありました。眺めも美しく、どの瞬間にも情緒に満ちた桟橋でしたよ。

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