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幸せへのステップ6・完結

これまでの話

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苦悩を乗り越え、それによって得た家族との計り知れない絆。今までで一番楽しかったクリスマス。家族が心をひとつにし、前を向いて生きようと決めた日。

2013年1月。
彼が突然、海に行こうと言い出したある日。
ふたりでキラキラと輝く海を見つめ、彼は目の前にあった崖を登ってみたいと言いました。あの出来事以来、彼の口からはじめて出た『したい』という言葉でした。
私はその言葉に少し驚きましたが、軽い足取りで崖を登って行くのを遠くから見守っていました。どんどんと岬へと進み、やがて自然に抱かれるように小さくなっていく後ろ姿。そんな壮大な自然のなかで、たとえどんなに小さく見えても、私やお腹の子供にとっては最大の存在で、決して見失いたくないもの。彼は、今まで以上に強くたくましく生きて行く意欲を見せ、ハンデに屈しない勇気を見せてくれた気がしました。
”ふたりでがんばっていこう。これからは彼の片目となって支えていきたい。”

その半年後、再び全身MRI検査を受けるため、早朝に病院を訪れました。
周りをぐるっと見回しながら、半年前にも来た待合室に座っていると、半年前に起こったことがまるで嘘のように感じられました。あの時は不安で周りを見回す余裕がなく、うつむいているか、ただ前をじっと見て座っているのが精一杯でした。

「早朝なので一番か二番目に呼ばれるね」と彼と話していると、横をTシャツを着て運動靴を履いた男が足早に通り過ぎました。よく見ると背中が汗びっしょりで、髪まで濡れていました。部屋に入ろうとする男の横顔が見えた時、あ然としました。”あの医師”だったからです。あまりに意外な様に驚いてしまいました。
1年前、ほかの病院から出されたこの医師宛の紹介状を持って、病院へ駆け込んだ私たちでしたが、この医師が旦那を診察することはなく、それどころか帰り支度を始め、私たちに4日後にまた来るよう伝えなさいと代わりに担当した医師に指示を出しました。結果的に、旦那はその2日後に失明しました。

あの日の言動が許せなくて、あれでも人間かとさえ思い続けた男と、今朝の汗びしょびしょの男が同一人物なのかと思い、目を疑いました。
そして、この日、医師のもうひとつの姿を見た私は、これまでの怒りを手放し許しました。苦しいほどに抱き続けた医師に対する憎しみがすっと消えたのです。

このような視点は理解しがたいかもしれませんが、私は汗まみれの通勤姿に人間らしさを見た気がして、安心したのです。
この医師は、私が思ってたような非人道的な人間ではなかったかもしれない。そもそも医師という職業に就く人は、毎日様々な病気の患者や患者の苦悩を見てきています。なので健康が、どれほど大切かを誰よりもよく知っているはずなのです。少なくとも、この医師はそれを見てアクションを起こし、自分の体を大切にする努力をしているではないですか。。。私から見れば、それは人として責任ある行動で、自己を大切にすることは家族に対する責任でもあると思っています。

あの日、旦那を診ることなく帰った理由は、冷たい人だからとか、診察が面倒だったからというわけではなく、おそらく視神経炎から失明という最悪の事態になることを全く予想できてなかったからではないかと考えるようになりました。
実際、視神経炎はほとんどのケースでは自然治癒するそうで、早期に治療しようがしまいが、結果的に1年後の目の見え具合は同じだと言われています。旦那のケースにおいては、知識だけを頼りにした結果、例外のケースを見損なってしまったということです。もちろん、今でもその過失は100%医師にあると思っていますが。
ただ、旦那が払った多大な犠牲は決して無駄ではなかったと思います。あの後も、これからも、病院に訪れたすべての視神経炎患者は早急な処置によって救われるということですから。


最後のMRI検査からおよそ5年が過ぎました。
毎回検査のたびに多発性硬化症との関連性について恐れてきましたが、結果的に病巣は見つからず、年が経つごとに、その難病との関連性も薄くなってきてるようです。

旦那は今は夜間の車の運転も楽々できますし、もともと両目とも2.0という驚異の目の良さだったことも手伝って、片眼を失明してからできなくなったことはほぼないと言えます。ただ、ひとつだけできなくなったことは3Dの映画を観ることです(笑)。片眼では3D映画は2Dにしか見えません。

旦那が失明したおよそ7ヶ月後に初めての子供が生まれ、私たちは新しい命の誕生と共に平穏な生活を取り戻しました。失明する前よりも忙しく、大変ですが、明るく、幸せに満ちています。
私は本当の幸せが何かを、あの日以来知ることができました。それを強く、何よりも強く求めた結果、訪れました。
手にしたいものは、漠然と思い描いてても、決して向こうから訪れることはありません。その思いはあまりにも弱く、最終的にそれに向けて自ら行動を起こす原動力にはならないからです。その原動力とは、実は潜在的なものなのです。ほとんど意識していませんが、強い願いを持ち続けることで、人は自然にそれに向けて行動を起こすようになります。苦境を乗り越えるための能力は、生きていくために誰にでも備わってるのです。

だから、どんなに辛く苦しくても幸せを諦めてはいけません。現状を変えたかったら、何かを成し遂げたかったら、まずは絶対にできると自分を信じること。信じなければ、そこへ向かっていくことも、ゴールへ到達することもありません。幸せへのステップとは、望みが絶たれそうな状況の中で、望み信じることなのです。




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