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Tom Cruise and Stauffenberg - 映画『Valkyrie』より


Tom Cruise
Claus Graf von Stauffenberg


トム クルーズ
クラウス フォン シュタウフェンベルク伯爵

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トム クルーズ

アメリカ合衆国ニューヨーク州生まれの俳優、映画プロデューサー。
1962年生まれ、48才。
青春映画の端役から俳優としてのキャリアをスタートし、1986年に出演した映画『トップガン』で世界的大ヒットを飛ばし、トップスターの仲間入りを果たした。
1989年の映画『7月4日に生まれて』と1996年の『ザ エージェント』でアカデミー賞主演男優賞、1999年『マグノリア』では助演男優賞にノミネートされた。その後も社会派作品から作家性の強いアート作品、アクション大作、ヒューマンドラマに至るまで幅広い作品に出演、次々とヒットを飛ばし、一流俳優としての地位を不動のものにした。1996年の映画『ミッションインポッシブル』では、初めて映画のプロデュースを手がけている。

実話を基に描かれた2008年に出演した映画『ワルキューレ』で、第二次世界大戦中の当時のドイツの総統であったヒトラーの暗殺を試みたドイツ陸軍国内予備軍参謀長、シュタウフェンベルクを演じている。

クラウス フォン シュタウフェンベルクとナチスドイツ
1907年にドイツ名門貴族のシュタウフェンベルク家に生まれる。音楽家や建築家になる夢があったが、軍人の道を志し1926年ドイツ国軍に入隊する。正義感に溢れ、成績優秀、つねに大勢の中でも目立つ存在で、そのつもりはなくても人の輪の中心となるシュタウフェンベルクは、同僚将校や上官からも人を惹き付け、納得させ、信頼感を与える存在であったとされる。そんなシュタウフェンベルクは、瞬く間に軍で昇進を果たす。
1933年、国家社会主義ドイツ労働党(ナチ党)の党首ヒトラーが首相に任命され政権を掌握した。シュタウフェンベルクはナチ政権下においても、順調に軍において昇進を果たし、同年、中尉に昇進している。当時はヒトラーの政治体制において肯定的だったシュタウフェンベルクだったが、1938年のナチ党が起こした反ユダヤ主義暴動をきっかけに、ナチ党や党幹部への不信感と嫌悪を抱くようになった。シュタウフェンベルクは第二次世界大戦に参加、1939年から43年の間に参謀大尉から参謀中佐にまで昇進している。1942年の夏以降は、戦況が泥沼化していく中、シュタウフェンベルクは「総統の排除」を口にするようになった。また、ヒトラーのユダヤ人に対する”犯罪性”を告発する発言も多くなった。1943年、念願だった北アフリカ戦線に参加中、乗っていた車がイギリス軍機に銃撃され重傷を負う。それによって、左目と右腕を失い、さらに左手の薬指と小指を失った。当時ドイツは全ての戦線で敗戦を続け、敗色は誰から見ても明らかだった。
シュタウフェンベルクは、これ以上の愛国の戦況の悪化を食い止めるためには、あくまで最後の勝利を目指し戦争を続けようとする総統ヒトラーを排除(暗殺)し、ワルキューレ作戦を発動するしかないと悟る。失敗すれば自身の命や家族に危険が及ぶかもしれないことを承知で、反ヒトラーグループに加わり、ヒトラー暗殺の具体化計画を進める決意をした。

ところが、戦況悪化の中でヒトラーが公に姿を現すことはほとんど無く、限られた側近以外は近づける者がいなかった。しかし1944年の5月にそのチャンスが訪れる。シュタウフェンベルク大佐(彼はその一ヶ月前に参謀大佐に昇進している)が国内予備軍司令官の参謀長に就任することが決まったからである。この地位につけば、ボディチェックが免除され、ヒトラーの前に出て報告を行う機会がある。それによって、反ヒトラーグループはシュタウフェンベルクをヒトラー暗殺の実行者に選んだ。

1944年7月20日、狼の巣と呼ばれる会議室でヒトラーらと会議が行われる日、シュタウフェンベルクが出席するよう命じられた。暗殺計画が実行された日である。時限爆弾を仕掛けた鞄を持って現れたシュタウフェンベルクは、地図を広げた長テーブルの足となっていた長板(ヒトラーの立つ側に向けて)に鞄をもたれかけさせ、用事がある振りをして部屋を出る。しかし、鞄に気付いたある大佐が鞄を邪魔に思い、鞄を足の反対側にやってしまった。これがついたてとなり、ヒトラーが爆風から免れる結果となった。足の反対側(鞄が移動された側)に立っていた4人が亡くなったが、ヒトラーは軽傷を負ったにとどまった。のちに、会議中ひとりだけ姿を消したシュタウフェンベルクに疑いがすぐさま向けられることになる。翌日、反ヒトラーグループの3名とシュタウフェンベルク大佐は銃殺刑に処された。シュタウフェンベルク満36歳であった。
シュタウフェンベルクは、暗黒のナチス政権下の時代にあった当時のドイツにおいて、国と国民を守るためにナチスに立ち向かい、希望をもたらそうとした一筋の光であったとされ、戦後ドイツで英雄視されている。

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