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4月, 2009の投稿を表示しています

パーティーの報告

みなさんは西洋で誰かのパーティに呼ばれてホスト先の人に'Bring a plate.'と言われた経験はありますか?もしくはもしそう言われたら”お皿を一枚”持っていきますか?
これオーストラリアではパーティーに呼ばれる際、結構言われる言葉です。言われた通り解釈し”お皿を一枚”持って行ったらホスト先の人はパニックになるでしょう。
この場合の'Bring a plate'の意味(表現)は、”何か一品持ってきて”です。(デザートでも何でも) 日本ではちょっと言われる事のない経験ですよね。おもてなしする側は徹底的にもてなし側にまわるのが日本流だと思います。義母から聞いたのですが、昔家族が香港に住んでいたときに中国人を家に初めて招いた際この言葉を言ったそうです。義母は住んで間もない頃だったので文化の違いをよく分かっていないこともあり、当然通じる表現であると思ったらしいのです。 皆やはりお皿を一枚持って来たそうです。おそらく1年半前の私も同じことをしていたでしょう。 その場合ホスト側は十分な食べ物を用意していないので、パニックになります。しかしお客さんは皆口を揃えたかのように「香港に来て間もないからまだ食器類がオーストラリアから届いていないのかと思って」と義母に言ったそうです。 みなさんも気をつけてね!
ということで昨日のパーティーはまずその心配なく、スタートしました。 国際色豊かでしたが、職業も聞いてみると様々で、昨日の記事で挙げた職業の方以外に学校の先生、会計士、医者、バイオリニストそれと投資家夫婦がいました。皆年配の方なのでいろいろな知恵を授けていただき、楽しくお話させていただきました。 途中二人の女性が子供に大学に行くよう強要すべきか否かの議論を繰り広げたりもして、横で私はじっくりと聞いていました。ちなみに強要すべきではなく、子供の好きな道を選ばせるべきだと言っていたアメリカ人の方は7人の子供がいて「私の子供7人全員が好きな道を選んで成功しているわ。子供には進みたい道を選ばせるべきなのよ」と。義母から以前聞いたのですが、実際に子供はこちらでニュースキャスターや音楽家として成功されているそうです。 お客さんが帰った後私たち夫婦も同じ質問を互いにし合いました。”大学はできれば行った(行かせた)方がいい”という答えで一致しました。
ま、それはさておき、お料理のこと。

The Beauty Of Life

昨日主人と前に主人の勤めていた会社の同僚やその友人達を含め6人で美味しいインド料理のレストランに行って参りました。
食事後はバーに移り、その後私たちの家の庭のデッキで夜中の1時頃迄おしゃべりをしていました。もちろん私は未だ英語でしゃべるより、聞く方が断然楽なので80%聞く側にいました。
メンバーの中にはアーティストの人もいて「あなたのブログ見ているわよ」とか、ほかの人からも「私もよ」とおっしゃっていただき嬉しかった反面、少し恥ずかしかったような気持ちでした。 というのも私のブログはアート一遍なブログではなく、The Beauty Of Artと題しながら実際は別な物事も紹介しているからです。。あは。 たとえ日本語で書かれてあっても、画像で私の生活の一部や好みが分かるというのもあります。
善し悪しはさておき、確かに日常、私はまだまだ絵に大半の時間を費やすというところまではいっていません。 私にとっては日々の生活そのものが絵の大切なひらめきになっていると思っているので、私は日々送る生活の質に重点をおいています。それは必ずしも物的なもの、金銭的なものではありません。人との出会いを含め自分を取り巻く環境は私がいちばん大切にしたいものです。
このブログを読んでくださっている方々、コメントを残してくださる方々、いつもどうもありがとうございます。そしてこれからもよろしくお願い致します。
さぁ、明日は家に両親の友人7名がいらっしゃいます。ヨーロッパ、アジア、アメリカからの国際色豊かなオーストラリアンBBQパーティーになりますよ。中にジュエリー デザイナーやアーティストもいます。 私は前菜(クラッカーにアボカドとサワークリームベースのガーリック ディップを添えて)とトスカーナ風鯛のグリル、肉の付け合わせの野菜を料理担当します。最近購入したあのお皿もオリーブを入れるのに登場させますよ。
がんばろっ〜と!

Kiss In 1937

Jean Harlow and Robert Taylor in Personal Property, 1937.

Harlow was born in 1911, in Kansas City, Missouri. She was a thirties sex symbol. Died at the age of 26. Personal Property was the last film she was to complete.
Taylor was born in 1911, in Nebraska, the son of a country doctor. Died in 1969.
1937年、映画『Personal Property』のジーン ハロウとロバート テイラー。 ハロウは30年代のセックスシンボルと呼ばれ、26才で病で亡くなるまで多くの作品に出演、この映画が彼女の最後の出演作品となりました。(その後に出た作品がありましたが仕上げるに至りませんでした) タイラーは1911年にアメリカのネブラスカに医者の息子として生まれました。美形俳優として人気を博したそうです。
ステキなふたりという感じですね!

休日のお買い物

こんな可愛い箱に入っていたのは...



   こんなに可愛い小皿たちでした。

オイル ディッピング ボウルと箱に書かれたこのお皿には、
オリーブオイルとバルサミコ酢を一緒に入れて、バゲットにつけていただきます。 黄色のオリーブオイルと黒のバルサミコ酢が分離してきれいな色のデッピング オイルになります。 レストランに行くとAppetiserとしてお食事の前に出てくることがあります。ワインと一緒にいただいたりします。
私はこれにタパスのようにおつまみ風なものを入れたり、薬味を入れたり、もちろんオリーブを入れたりして使用するつもりで買いました。 食器が大好きなので、こういうのを見るとつい料理の想像が広がり買ってしまいます。

神風特攻隊 2

実在した19才の特攻隊員がモデルです。
団体での写真撮影だったと思われます。
この表情に色々な事を考えさせられました。

Will You Be There

なんだか不思議です。 母親と全く同じ血が流れているのではないだろうかと思う今日この頃です。 好きなものが驚くほど一緒なのです。 例えば母はマイケルジャクソンが昔から好きでした。私もこの人の音楽を聴いて育ったので、あらゆる意味で影響されてきました。 音楽を聴くだけで勇気やロマン、それにものすごいインスピレーションをもらえます。ミュージッククリップからはさらに刺激をもらえるので今日も2本のDVDを買ってきました。
あと彼のマネか影響かは分かりませんが、自分は白と黒の洋服のコーディネートが昔から大好きで、特にスリムな黒いパンツは何十年と買い替え続けていてもうこれは私のトレードマークになっているかもしれません。 肌がすごく小麦色だった短大時代は「あれ?あなたって誰かに似ているなって思ってたら、ほらあのマイケルジャクソンの妹に似てるんじゃない?」と言われた事もありました。 「あ、ジャネットジャクソンのことですか?...」と微妙な面持ちでそのときは返しましたが。。 今でも同世代の女性に比べると結構黒い方ですし、やや小麦色の肌は自分らしくて気に入っています。今ではもう言われる事はないですが、ジャネットに似てると言われた事は今思うと嬉しいです。
色々な噂が世間に飛び交って皆に厳しく批判されていても、真実を知らない私が彼のアーティスト性を批判する事はありません。 私はやはりDangerousの頃の彼が一番好きでした。 今年確かワールドツアーをする様ですが、ぜひオーストラリアに来たら行ってみたいと思っています。もう50才なんですって。ぜひあの歌声を生で聞いてみたい。 「Will You Be There」は好きな曲のひとつです。

Casablanca

これは40〜60年代のハリウッド映画のポスターをイメージして描いたものです。日本の映画もそうですが、昔は写真ではなくこのような絵のポスターだったんですよね。
まず『カサブランカ』は白黒映画なので色に迷ってしまいました。この映画自体も観ていて本当に最後まで薄暗いイメージだったのですが、ここは思い切ってハリウッド黄金期のポスターを意識しようと思い、一部にカラフルな色を使うことにしました。
全部ではありませんが、古い映画を観ているとよく”この映画の一体どこがいいんだろう?なんで人気があったんだろう?”って思うんですよね。そうそう、忘れているんです。70年前とかに作られているということを。結局それを忘れてすごく厳しくジャッジしていたりするので、頭をリセットしながら観ています。
というのも出てくる女優の身にまとっている衣装がまったく古くさくなく、それどころかすごくエレガントでありながら、肌をむやみに出していなくてセクシーなんですよ。ファッションの手本になります。
身のこなしも美しいですし、義母が言うには言葉遣いもとてもきれいだと。女性に対しての『格好いい』って、本当はこういう女性のことを言うのだと思います。 目に新鮮なので、古い映画もたまにはどうでしょう?

神風特攻隊 1

永末さん(特攻隊員)をモデルに描きました。

このようにメッセージ性の強い絵はあまり描いた事がないのですが、まず時代背景と個性を生かすことを最大の焦点とし、さらに活気を大切にしました。

送っていただいた戦友の写真には、勇ましく凛々しい人もいれば、なんとも切なくさせるような憂いをたたえた表情の人もいらっしゃいました。これから他の作品と同時進行になりますが、何枚か描いていきたいと思っています。

『特攻の実相』『特攻の実相 続編』が私に伝えたもの 〜亡き特攻隊員達からの無言の伝言とは〜

まずはじめに、
これは太平洋戦争末期、海軍航空隊に*特攻要員として九州最南端の鹿屋海軍航空隊にいらっしゃった藤 良亮氏が御自身の経験をもとにお書きになった本です。弱冠17歳で中尉となられた藤氏が経験した悲しい実話の一部でございます。 *特攻要員、すなわち特攻隊員の意。(特攻隊とは『特別攻撃隊』のことである。太平洋戦争末期に日本軍が編成した、生還の可能性の無い連合国軍艦艇に対する体当たり攻撃を実行するための部隊である。wikipediaより参照)
私は戦争を体験していない世代に生まれたので、今から私が申す事は、私がこの本を手にとって以来私なりに理解し考えたことです。著者の見解ではありませんので、どうぞご理解くださいませ。
実際本の中には私の32年間の知識を以ったとしても、知らない用語、表現などがあり、分かりづらい部分がありました。 たぶんこれは戦時中、日常的に使われていた軍事用語なのだと思いました。
誠に残念な現実なのですが、年が経つにつれ、私たちは太平洋戦争について戦争体験者から多くを語っていただく機会が少なくなってきています。もし私がこの本に出会えていなかったら、私はこの戦争の多くを知らないだけでなく、さらに何よりも大切な「真実」を知る事はなかったでしょう。それに今日のような記事ももちろん書いてはいませんし、今の私もありません。この二冊の本は、私の精神を生まれ変わらせてくれました。 私はこの本がこれからも自身の”道しるべ”となることに大きな意味を見出し、本の中で私が受け取ったメッセージ、そしてそれを現在に蘇らせ実行に移すこと、それこそが大切なのだと思うようになりました。 中には戦争を知らないのにぺらぺらとしゃべってと思う方もいらっしゃるでしょう。でも今の私の思いを精一杯の言葉に代えて、今日は同じ蒼空の下「生」を共にする藤 良亮先生へ捧げたいと思いこの記事を投稿しました。 いつか必ず英霊への報恩となる何かを出来る自分になれるよう、これから尽力してまいります。


<前文省略... あの戦争以来、私の人生観も大きく変わりました。何をしても辛いと感じたことは一度もありません。> 著者 藤良 亮

これは本の前書きから引用しました。

この言葉一つで、藤先生の壮絶な生き様を想像できるということはいうまでもありません。私自身も今までの人生の中で、これほど辛く心が引き裂かれるような話は聞いたことがありませ…